『撃て!イチロー外伝』

2017年夏、鹿児島県屋久島永田浜に、ジュンという20歳の美しい娘がいた。ジュンは鹿児島大学教育学部芸術学科に通い、フォトと絵画を熱心に勉強していた。将来は美術教師になるつもりだ。ジュンの父親、丸波は永田浜出身。ジュンは鹿児島市内の実家から、フォトジェニックな被写体が豊富な永田(地名)に夏季休暇を利用してフォトの修業に来ていたのだ。ジュンの腕前は確かで、県展に2度入選していたが、まだ自分の腕前に自信を持っていなかった。ジュンのテーマは浜から見上げる千年杉の林、屋久鹿、ウミガメなどその日その日の気分と体力、気力の状態次第で変わっていた。気力に満ちた時には重いデジタルカメラと交換レンズを担いで投げ石岩屋や花之江まで足を延ばすこともあった。今日はどうしても宮之浦岳に登り、永田岳のローソク岩を撮りたい気持ちになり朝4時に屋久杉ランド方面から登り始めた。昼には宮之浦頂上に着くはず。ジュンは美しい顔に玉の汗を浮かべながらモンベル・ゴアテックス・パーカーに身を包み、一歩一歩宮之浦岳を目指して歩を進めていた。昼よりはやい午前11時には宮之浦岳に到着。ザックをおろして一眼レフに400ミリ単焦点の馬鹿でかいレンズを取り付ける。宮之浦頂上から少しくだったところに焼野幕営場という開けたところがあり、そこに陣取って永田のローソク岩のてっぺんに太陽が重なり、ホンモノのローソクのように輝く瞬間を狙い、待った。霧に濡れた岩場を進むうちに足を滑らせたジュンは転倒し、大切なレンズの前玉を割ってしまう。「ついてないなぁ、もう」。と小さく悪態をついていると、屋久鹿のように足音もなく一人の老人が近づいてきた。メガネをかけ、白いひげを蓄えた70近い老人である。「はんな、いけんしたとな?(あなたは、どうしたの?)」と明朗で温かい声で話しかけてくる。ジュンは、ローソク岩の写真を撮りに来たこと、自分は芸術学科に通う学生であること、転倒してしまい、バイトしてやっと買った400ミリを割ってしまったこと、スペアの28-300レンズでは心もとないこと、などを話した。老人はニコニコ笑って、「ついてきなさい」とジュンを先導し始めた。ジュンにはきつい急な岩場を老人は鹿のように軽々と登っていく。「どこへいくの?」と不安になったジュンが聞こうとした瞬間「ここでよか」と老人は立ち止まり、カシオの腕時計を見た。「あと、2分。ここがベストポジション!300ミリで狙おうか」老人はジュンにカメラを構えるよう促した。ジュンは300ミリにセットしたカメラをローソク岩に向けた。そしてファインダーを覗いた。覗いた瞬間、全身の毛孔が開くほどドラマティックで興奮させられる構図が出来上がっていた。「あと30秒」老人は朗らかな声で告げる。「今!」と老人とジュンが同時に声を上げた。ファインダーの中のローソク岩先端に太陽が重なり感動的な光景が広がった。ジュンはロウモードでシャッターを切り続けた。やがて、太陽は岩の先端をずれ、ジュンはカメラを降ろした。ジュンはカメラの液晶で撮った作品をさっそくチェックする。どれもが、これまでにない最高傑作に思えた。ジュンは尋ねる「どうして? どうしてここから撮ればいいって分かったの? おじいさんなにもの?」老人はニコニコしながら穏やかな声で「急な岩場を登らせて悪かった。君が持っているキャメラはキヤノンの5Dだろう? レンズはシグマの便利ズーム300ミリ。そのキャメラでローソク岩を撮るなら、この場所が一番エキサイティングで、最短で太陽が重なるとワッシは思ったものでね。」「どうしてそんなことがわかるの?」「いいかい、お嬢さん、フォトは最初に構想を強く持つんだよ、どんなアングルでどんな構図で撮るか強く決めるんだ。次にそう撮るためにはどこに立てばいいのかよーく周りを観察するんだ。ベストの場所を見つけたら歩いて行って、そこについて始めてキャメラを操作するんだ。どう?簡単でしょ?簡単だけど体得するまで一生かかるけどね」老人のおかげで素晴らしい作品をものにできたジュンはもっと老人と話したいと願った。ジュンが荒川小屋方向に下山する予定だと伝えると、老人は「ワッシもそっちに行こう」と道中ともにすることになった。老人は将来美術教師になるというジュンの夢を応援してくれ、強く生きるための色々な心構えをジュンに教えてくれた。小屋につくと、老人は「お嬢さん、またね」と言って元来た山の中に引き返していこうとした。「待って、私はジュン、あなたは?」「イチローって呼んでくれ」「また会える?」「きっと!」2人はこうして知り合い、つかの間人生を共有し、別れた。3年後、ジュンは念願の美術教師になっていた。成績優秀により、初年度を鹿児島大学附属中学校に配属され、研修を兼ねた1年目を過ごし、2年目から海外の日本人学校に転属となった。2年目で海外勤務は非常に稀なケースで、本人の強い志望と、周囲がそれを認める実力があった。教員の海外勤務は緯度組と経度組にわかれ、きつい経度組の中でも特に過酷な「赤道組」にジュンは組み入れられた。赤道組とは、往々にして貧しく治安の悪い国が多い赤道直下の国に派遣される組のことだ。どの国に配属されるのかは3月半ばまで知らされない。ジュンが若くして海外に行くことを渋っていた丸波家だったが、3月が来るころにはジュンを全力でバックアップするようになっていた。県庁に呼び出されたジュンが手にした辞令書には赴任先「タイ王国」と書かれていた。タイは東南アジア諸国の中でもシンガポールに次いで治安が良く、文化レベルも高い。ひとまず安心できる赴任先とジュンの家族には思えた。しかし、タイも南部ではイスラム過激派が居住する街があり、北部ではカレン族と内戦状態のミャンマーと接する街があり、都市部の平均月収が日本円で3万円程度なのに対し、イサーンと呼ばれる田舎では月収300円程度と物価差が100倍あり、首都バンコクに食い詰めた田舎出身者が押し寄せ、スラムを作るなど問題がないわけではなかった。ジュンは4月1日付でバンコク日本人学校に赴任することとなった。もっと田舎に行くことを覚悟していたが、バンコクだったため拍子抜けした感もあった。しかし、とにかくバンコクで暮らす日本人児童のために、美術の素晴らしさを教える情熱を持って40度近くになる4月のバンコクの街を歩いて登校した。ジュンはすぐに児童の心を捉えることができた。新学期早々は「あんな若い女性教諭が、クラス担任と美術専科が同時に務まるのか?」といぶかしむ同僚も少なくなかったが、ジュンには不思議な人心掌握の技があり、同僚たちも徐々に彼女を受け入れ、信頼を置くようになっていた。ジュンの人心掌握術は、3年前、屋久島でイチロー老人に教わった「一生懸命に働き、まじめで、優しい人」になれば人から好かれる、ということを実践するものだった。順調に勤務を続け、一学期が終わりに近づいた7月のある日、「帰りの会」を開いていたら「パン!パパン!」と爆竹のような音がした。次いでガラスの割れる音。児童、生徒の悲鳴が聞こえてきた。「クンチューアライラ!(お前の名前はなんだ!)」と叫ぶ男たちの声が悲鳴を増幅させる。ジュンはとっさに生徒を教室の後ろに整列させ、しゃがませた。「お前は誰だ!」という声が近づいてくる。「ウェアリズ ミズタニ?」という英語も聞こえてくる。ミズタニ?ジュンは咄嗟に生徒の水谷君を思い浮かべ、彼の家がバンコク中心の一等地にあり、日本風の広大な庭を持ち、あまつさえ人工雪を降らせ、松林を雪景色にして楽しんでしまうほどの大富豪であることを考えた。ジュンは、水谷君の父親が高価なニコンのカメラで雪景色を撮り、写真の専門家に添削を一回100万円でしてもらい、それをネットで公開していることを知っていた。「これは誘拐だ!水谷君を人質に水谷家から金をゆすり取るために雇われた誘拐グループだ!」ジュンの教室にも男が2人入ってきた。一人が部屋に入ってすぐ軍用小銃を撃って天井に穴をあけてみせ、生徒を恐怖で黙らせる。もう一人がジュンに近寄って「水谷はどこだ?」と日本語で聞いてくる。なまりのないきれいな日本語で、彼が日本人であることがわかった。「そんな子は知らない!」ジュンが答えると男は持っていた自動拳銃のグリップでジュンの首筋を力いっぱいたたき、倒れこむジュンの髪の毛をつかんで生徒の列の前に引きずっていき「どいつが水谷だ?」と言いながら拳銃を突きつける。するとしゃがんでいた生徒の中の一人が「僕が水谷です」と誘拐犯に告げた。ジュンが驚く。立ったのは水谷君ではない、張晴翔君である。本物の水谷君は顔を床にこすりつけて動けない。張晴君は去年、クラスでひどいいじめにあっていたと聞く。そのいじめを身を挺して救ったのが水谷君だったのだ。張晴君はその恩に命をかけて報いようとしている。ジュンは「ダメ!!」と叫んだが銃で顔を殴られ、気絶してしまう。おぼろげに張晴君が連れて行かれる姿と、自分の体が宙に浮き、「この女も連れて行くぞ」という声が聞こえていた。
丸波家では、いつものように父親がテレビをつけながらお茶を楽しんでいた。ニュース速報の音でテレビ画面に注目すると、驚愕の情報がもたらされた。バンコク日本人学校が10名の男たちに占拠されているという。画面が切り替わり、緊急放送がうつる。バンコク日本人学校前に立つ男性レポーターが早口でわかっていることを伝えてくる。現地時間午後3時頃、軍用小銃、拳銃、それに恐らく爆発物を持ったスワングループという犯罪集団のメンバーが学校に押し入った。生徒を体育館に集め人質として立てこもっている。人質の中でも特に水谷コーポレーション社長の子息と、若い女性教諭が別室に連れて行かれ、処刑スタイルで座らされ、頭に小銃を突きつけられている。要求は、水谷コーポレーションあてに身代金5億円、日本政府に10億円をバーツとドルに換金して持ってくるように、というものだった。丸波家の父親、靖は、すぐに若い女性がジュンのことだと推測した。父親は必死に頭を巡らせる。ジュンを救うにはどうすればいいのか?考えているうちにテレビ画面が再びざわつき始めた。現地中継で、男性の遺体が2体玄関を取り囲む警官隊の前に転がされた。犯人に性的暴行を受けようとしていた中学の女子生徒を守ろうと隙を見て体当たりを仕掛けた現国教師の松浪先生が射殺され、見せしめにもう一人男性教諭が撃たれたものだった。「連中は本気だ、このままではジュンが殺される」父親は必死に考えた。日本政府は何をしてくれるだろう?民珍党が与党となって4年。自衛隊は武装解除され、ホステージレスキューチームは武器を持たない、ネゴシエーション専門の部隊になっている。警察特殊部隊の数々も第二次世界大戦時の特高警察を想起させる、と韓国からクレームがついて解散されている。事実上、海外の日本人を守り、助けに行ってくれる人は、いない。民珍党政府は、身代金を言われるがままに支払うだろうが、物事を決めるのに時間がかかりすぎる連中だ。そうしている間にジュンはヤラレテしまう。と、その時、ある老人の顔が浮かんだ。イチロー、イチローならなんとかしてくれる!イチロー以外考えられない。イチローへの連絡を担当している喜多長の電話番号を素早くアイフォンで呼び出し、コールする。喜多長は快活な声で、すぐに永田浜にいるイチローをヘリで福岡空港まで運び、日航のバンコク直行便に乗せる手はずを整える、と答えてくれた。父親は、自身もバンコクに向かうため、タイ航空のチケットをネットで購入した。ヘリから降りたイチローは、日航のファーストクラスに乗り換え、のんびりとリラックスした様子でスタンダールを読んでいる。丸波とイチローは、同じ永田浜で育った。若くして自衛隊に入隊。レンジャー課程を修了するのも早かった。イチローは自衛隊の中ではのけものだった。前例のない戦い方を考案しては演習でそれを試し、そのたびに前例主義の上官に叱責されてばかりいた。しかし、一兵士としてのイチローは、誰よりも優秀だった。30歳を迎えるころ、自衛隊の官僚体質に失望したイチローは除隊してフォトグラファーとして身を立てていき、丸波は隊に残り、定年まで勤め、年金暮らしをしていた。2人は違う道を歩んだが、丸波はイチローの戦闘センスを尊敬し続け、喜多長を通して連絡を取りあっていた。イチローは灼熱のバンコク国際空港に降り立った。肩からソニー製のブリッジカメラと、ポケットの2つある小さなバッグを背負っているだけで、荷物は少ない。スタンダールを読み終え、喜多長がどこからか手に入れてきた日本人学校の内部見取り図を頭に叩き込んでいた。バンコクの渋滞事情はひどい。1キロ走るのに30分以上かかるのはざらだった。迷うことなくモトサイ(バイクタクシー)を雇ってカオサン通りに向かう。カオサン通りは世界中のバックパッカーが集まる多国籍タウンだ。拳銃から麻薬まで金次第で何でも手に入る。しかし、イチローの興味はカオサンで出回る安拳銃にはない。NATゲストハウスの前でモトサイを降り、地下へ続く階段を下りていく。地下室の扉を開けるとドナギーという名の陰気な男がPC画面とにらめっこしている。「コンジープン(日本人)、何の用だ?」うつろな声できいてくる。目は画面から離そうともしない。イチローはソニーのカメラからメモリーカードを抜きだし、ドナギーに渡しながら「ワシはジャーナリストと警官になりたい」と告げた。「いくら払える?」とドナギー。「5000だ」とイチロー。「5000バーツか?」とだるそうにドナギーが聞く。イチローはにこやかに「もちろん5000ドルだよ」と答える。「5000ドル!わかった、今すぐ取り掛かるよ。顔写真はそのメモリーカードの中だな?身分証だが、ジャーナリストのは5分でできる。警官のは時間がかかる。待ってる間に衣装を選んでおいてくれ。本当はオプション料金とるんだが、5000ドル前払いの中に入れておいてやる。」イチローは茶色が特徴的なタイ警察の制服を、部屋の隅の衣装ハンガーから取り上げる。30分ほどでイチローの報道プレス証と警察IDが出来上がった。ドナギーにモトサイを呼ぶよう伝え、陰気くさい地下を出る。モトサイをバンコク日本人学校に向けて飛ばさせる。途中何度か緊急検問にあったが、プレス証とカメラを見せ、でたらめな出版社名を名乗ると通してくれる。学校に近づくと、包囲する警官の姿が多くなり、検問も増える。どうしても通してくれない警官には200バーツをそっと渡せば通してくれる。イチローは3年前に会った丸波の娘の顔を思い出そうとしていた。3年前、ローソク岩で偶然出会ったように見せかけてイチローはジュンにあっている。丸波が、ぜひジュンのフォトの先生になってくれ、と頼んできたのだ。イチローは、笑顔でオープンな好々爺を演じているが、人定は厳しい。すれ違う人には底抜けに明るく接するが、深く付き合う可能性のある人間は、人格をよくよく見てから自分の本心を伝える。あの日、屋久島でジュンの行動を観察していたのだった。イチローの洞察によれば、ジュンはまだ師匠を持つには早い。ジュンの感性が予想外に高かったため、まだ師匠が価値観を教え導くよりも、奔放にさせておいた方がいいと判断し、そのように丸波に伝えていたのだった。時間は早朝になっていたが、バンコクは朝でも暑い。日本人学校を正面に見据えるところまできて、モトサイを降りた。行きかう警官のガンベルトを確認して回る。トーラスのリボルバー、論外。ベレッタ92F、もしかしたら使うかも。キープ。1911、装弾数が足りない。XD9、予備マグ2本持ち、これだ!イチローはプレス証をかざしながらXD9の警官に近づき、「私はジャパンの報道のものだが、あなたから情報が欲しい。ただで、とは言わない。1万バーツ払うから2人だけになって話せるところに行きたい」とゆっくりした英語で告げる。警官はややいぶかしみながらも1万バーツを見せられると、イチローについてきた。建物の影、誰も見ていないのを何度も確認した後、おもむろに警官の人中を突いてよろけさせる。そして思いきり胃を殴りあげて気絶させる。ドナギーの偽造身分証屋でもらった警官の制服に着替え、今倒した警官のガンベルトを奪い、腰に巻く。スプリングフィールドXD9のコッキングインジケーターは出っ張っていない。マガジンを抜いて弾がフルに装填されているのを確認し、挿し直す。スライドを上からつかんで力いっぱい引いてパッと手を放す。コッキングインジケーターが顔を出す。これでいつでも撃てる。メイス、バトン、無線機などが所定の位置にあることを確認し、日本人学校に向かう
若い警官たちの中には、イチローが現場警官にしては歳をとりすぎているため不思議そうな目を向ける者もいる。イチローはまったく意に介せず、悠然とバンコク日本人学校の正門に向かう。あまりに堂々としているので、若い警官の数名がイチローのことをかなり階級の高いベテランと思い、敬礼をよこしてくる。
現場の責任者らしい中年の警官がイチローのもとによって来る。イチローは、訊かれる前に先制して大声で問いただす。「タウライ?(敵はナンニンだ?)」「スイップエット、カップ!(12名です!)」「プラトゥーターンカオ?(進入路はどこだ?)」「カップ!マイミーヘートポン!(はい!すみませんがありません!
)」イチローが目を凝らすと学校の入り口前、幅15mの正門ゲートをふさぐように等間隔横一列に5名の男子中学生が座らされている。男子中学生は上半身裸にされ、ダクトテープで胸に手りゅう弾が巻きつけられている。各手りゅう弾は安全ピンのリングを通った一本のトラップワイヤーでつながれている。さらによく観察すると、同じ仕組みが背中側にもあるようだ。男子中学生の誰か一人でも動けば連動して全員の安全ピンが抜ける仕組みだ。手りゅう弾のタイプはF1。ピンが抜けて爆発するまでの時間を4~0秒まで調節できるものだ。当然、誘拐犯は0秒に設定し、誰かが動けば、その瞬間爆発するようにしてあると考えるべきだ。
警官が突入しようとしても、5名の中学生を動かせないし、彼らの間を縫っていこうにもトラップワイヤーが邪魔をする。さらに仕掛けは凝っており、防犯用に使われるはずの赤外線センサーが通っており、人が横切るとセンサーが反応して門柱に固定された手りゅう弾が爆発するようになっている。爆発の衝撃で生徒が吹き飛べば、自然と全員の手りゅう弾が爆発するようになっている。ワイヤーカッターでトラップワイヤーを切りに警官が近づこうにも、赤外線センサーでドカ
ンと爆発する。完璧な人間の盾だ。別の入口はないか?イチローが見るに、すべての入口に同様の仕掛けがしてあるようだった。犯人グループは12名。3つある入口に、仮に2人ずつでも見張りを配置すれば戦力がかなり割かれてしまう。この人間の盾を設置しておけば、入口の心配をする必要はなくなり、仮に強引に警官隊が突入してこようとも爆発音でどの入口が破られたのかが分かり、迎撃しやすくなる。イチローは犯人グループをクレバーだと評価すると同時に「この仕掛けを作った者を必ず殺す」と静かに誓った。入口以外の外壁は、侵入者を拒む高い塀と有刺鉄線がある。それは、もともと日本人学校に設置されていたもので、本来児童生徒を進入者から守るための設備だったが、今はそれが裏目に出ている。イチローが胸に着けている偽の警官IDは、ドナギーが気をきかせて現場担当トップ級高官を示すものにしてあった。それに気づいた先ほどの現場責任者中年警官はイチローにすがるような態度に変わり「ジャタムヤーンライディー、カップ?(どうしたらよろしいで
しょうか?)」と尋ねてくる。イチローは5秒ほど考えを巡らし「スタームルガー22オートMk5のサプレッサーモデルを3丁持って来い。マーブンクローンセンター(巨大ショッピングモール)のバンコク・サバーイ・ガンショップにあるはずだ」と指示する。サバーイはタイ語で気持ちいい、とかご機嫌を意味する。オーナーは佐伯という日系タイ人でタイが気に入り、九州出身ながらタイに帰化している。イチローが以前フォトの仕事でタイに立ち寄った際、偶然佐伯のガンショップ前を通り、興味を持ち、その品揃えに驚いたものだった。イチローは今が午前中で、トラップワイヤーがうっすらとでも目視できる状態であることに感謝した。22オートが届くまでにできることはないか?警察はマニュアル通り、現地メディアの現場中継映像を限定的なものに制限させ、ジャマーを流してあらゆる無線電波とワイファイ電波を止めてある。それによってリモート爆弾の危険性を排除し、犯人グループが携帯電話で連絡をとりあうことを妨げていると同時に、取り囲む群衆の中に必ずいる犯人グループに警察の動きを伝える見張りが情報を流すことを防いでいる。リモートの監視カメラ機能もすべてマヒさせてあるが、場合によっては監視カメラ網を復旧させ、ハッキングで内部の様子をうかがった方がジュンと少年の安全を確認し、敵の配置を知るのに有利か?とも思う。しかし、それではこちらの動きも敵にわかってしまう。やはり犯人グループを直接サーチアンドデストロイしていくしかないか。人間の盾に利用されている生徒をのぞき、ほとんどの児童生徒は体育館に集められている。先ほど飛行機内で暗記した校内見取り図に従って考えるとジュンと少年は頑丈な施錠の出来る障碍児用パニックルームにいる可能性が高い。障碍児用パニックルームとは、不審者が進入してきた際、健常者のように避難することができない身体障害を持つ児童生徒をかくまうため、障碍児学級の教室のすぐ隣に作ってあるシェルター室のことである。警察がジャマーを流す以前に犯人グループが送ってよこし、ジャパンのメディアにものった頭に小銃を突きつけらたジュンと少年の荒い画像の背景も、パニックルームのそれだったので、今もそこにいる可能性は極めて高い。まずは、正門を突破しないと・・・イチローが思案していると、怒声とともに、大勢駆けつけている生徒の保護者のうちの一人が走ってきた。警官の制止を2度3度と振り切って走ってくる。「桃助ー!!父ちゃんが助けてやるぞー!!」ぐったりと座っている5人の生徒のうちの一人が顔を上げる。
日本語がわからない現地警官が、保護者を新しい敵だと思い、思わずMP5を彼に向ける。「危ない!」と思ったイチローはさっと走って保護者の手首をすれ違いざまつかんだ。つかんだ手首を軽い力で地面のとある一点めがけて引っ張ってやった。途端に保護者はバランスをくずし後ろ向きに倒れる。倒れる瞬間頭を打たないようイチローは反対の手で後頭部を支えてやる。保護者は自分の身に何が起こったのかわからないようすだったが、倒されざまに懐から物騒なものを取り出す。西洋ナイフとも和式包丁ともつかない、強いて言えば現代版懐剣のような刃物だった。
「桃助を助けるんだ、邪魔をするな!俺にあいつらを殺させてくれ!」興奮して叫ぶ保護者の手からイチローがあっさりと刃物を奪う。「おい、ワッシは日本人だ。必ずあなたの子を助けるから短気はよせ。この刃物は預かっておく。シースを貸してくれるとありがたいが」戦闘モードに切り替わりつつあるイチローの話し方はいつもの柔和なものから鋭いものに変わっていたが、自信に満ちた日本語を聞いた父親は、急に静かになった。「ありがとう、桃助を頼む。これは我が家の家宝、関の・・・」と保護者が言いかけるのをイチローが遮る。「わかっている。これは「削りの菊」の作品だね。本当はハンティングに使うものだが、相手は獣以下の畜生だ。遠慮なく喉笛に突き立てさせてもらうよ」イチローはガンベルトの拳銃の少し前に菊ナイフを吊った。オートバイが2サイクルの派手な音をならしてイチローの前に停車した。若い警官が敬礼もそこそこにイチローにバッグを渡す。中にはスタームルガー22オートMk5サプレッサーモデルが3丁と装填済みのマガジン15本が入っていた。イチローは「コープンカップ(サンキュー)」と伝えると3丁全てにマガジンを挿し、ボルトを引きセフティを外す。2丁を、ちょうどインサイドパンツホルスターにさす要領で体の前面に差し、残る1丁を両手で構え、ハンズダウンの位置に落ち着かせる。「グアン!(どけ!)」と正門前の警官をどかせ、慎重にトラップワイヤーと自分の立ち位置の距離を決める。一度で決めなければならない。近くから撃ちすぎると腕の振りが大きくなりかえって遅くなる。遠すぎるとトラップワイヤーを外す可能性がでてくる。「何をしているんだろう?」と警官たちがいぶかしむ。まるで生徒に銃を向けているように見えるイチローを保護者達が不安そうに眺める。イチローは15ヤードが最適な距離だと判断した。そう、イチローはトラップワイヤーを22口径弾で切断しようとしているのだ。イチローはライフルよりも拳銃で卓越した射撃技術を持っていた。ライフルもうまいが、近、中距離であればライフルと同程度の精度で、ライフルよりはるかに速く撃てた。頭の中で撃つ順番を練
る。まず左門柱の赤外線センサー電源コード。そのまま左から順に6発、右に行きついたら右から6発で全員のワイヤーを前後とも切断できる。発射音はほぼしないので犯人グループに見つかることはない。しかし、撃ち損じればワイヤーはたるみ、今以上に撃ちづらくなり、もたついたりすればなぜ自分の方向に発砲されているのか事情がのみこめない中学生が逃げ出さないとも限らない。一瞬で決めなければならない。ルガーの装弾数は10発。途中でマグチェンジが必要になるが、マグチェンジより空の銃を捨て、フレッシュな銃をドロウした方が速い。2丁のルガーが必要だった。3丁目はジャムが起きた時のための保険だった。「君たち、動くんじゃないよ」声色を柔和に戻してイチローが男子中学生たちに語りかける。が、衰弱した彼らは聞いていないようだった。おもむろにハンズダウンから銃を水平に構える。と同時にサブマシンガンのような勢いで撃ち始めた。プシュ、ププププププシュ!ゲート左から右まで撃つ。門柱の赤外線は電源を失い、男子中学生5名の、体の前面にあるワイヤーは外れる。イチローは一丁目のルガーを捨て、2丁目を素早くドロウする。今、銃は右に振れている、それを左に戻すような動きでププププププシュ!と撃つ。オリンピック選手は、アベレージでも22LR ピストルで10m先のシャープペンシルの芯を切断できる。しかし、今のイチローのようにホステージレスキューシチュエーションで、22LRを用いて15ヤード先のワイヤーを連続して断ち切るのは、かなり難しい。特に1か所目のワイヤーが切れた段階でワイヤーが緩むので上下する。それをみこして撃たなければならない。爆発は起きなかった。成功である。神業であった。
イチローが、さすがにホッと安どのため息を漏らす。
振り向くと、中年責任者以下、普通の警官より重武装の警官がそろってイチローに銃口を向けている。中学生方向に拳銃2丁分の発砲をしたとなれば誤解されるのも当然だ。やむを得ない。M4A1?いや、骨董品のM653カービンだ。MP5も混じっているがA3という旧型である。自分に銃口が向けられているのにイチローはやれやれ、といった感じでこのタイ警察版スワットの装備の中から、これからの単独突入に使えるものはないかと探した。中年責任者がイチローに問う「上官殿は、今、何をなされたのです?」「トラップワイヤーを全部切った、中学生の胸と背中の手りゅう弾は爆発しない。赤外線も切ってある」「おおお!!!」スワット隊員から歓声が上がる。「しかし!」とイチロー。「感圧トラップの恐れは排除できない。中学生には気の毒だが、米軍の爆発物処理隊がつくまで座っておいてもらうしかない。」「なぜ米軍?我々にも爆発物処理隊もあれば突入するスワットもあります。これ以上、中のコンジープン(日本人)を衰弱させるのは良作ではないのではないですか?失礼ながら貴官は本当にタイ警察の誇り高き高官か?」イチローは自分のタイ語のボキャブラリーのなさに引け目を感じながらも「そうだ!だからこそ米タイで共同戦線を張り、これ以上の死傷者をだしてはならない。失敗すれば日タイの大きな外交問題になる。」「わかりました。ですがあと30分で塀と校舎の外壁に大穴をあけるタイ軍の工兵隊が来ます。いかがなされます?」
もちろん、米軍が来るまで、という話はイチローのでたらめだ。タイ政府は米軍に払う作戦費用を日本政府に支払わせるよう仕向けているが、米軍を悪の枢軸と信じてやまない民珍党首相枝野が断固拒否しているのだ。枝野にとって、米軍に借りを作るくらいなら多少の邦人犠牲はやむを得ないと思っている。
それにしてもタイ警察が事件発生から20時間たってもほとんどなにもできない様子を見ていると、日本警察の方がまだましに見えてくる。タイ軍にいたっては、クーデターを恐れバンコクに装甲車一つ入れられないでいる。
工兵隊が本当に来るのかどうかはさておき、イチローは単独での進入、救助を決めている。しかし嘘も方便。「ワシが工兵隊のために偵察に入る!MP5の中に、SD6モデルはあるか?」「マイ、カップ!(ありません)」。「では着替えをくれ」、この格好は校舎内では目立ちすぎる。
やり取りを聞いていた保護者の数名が、本人や夫の予備のTシャツやパーカーを貸してくれた。ズボンとブーツだけはガンベルトの重みにたえ、不整地を移動するためそのままにしてある。スターバックスのTシャツとタフのベスト、それにガンベルトを装着しイチローは再度正門むかう。
正門の中学生の下に感圧爆弾があるかも、という示唆もイチローの嘘であり、中学生は今自由に動けるはず。しかしイチローが単独行動をするためにこのままにしてある。「すまない、30分で帰るからね。そしたらみんな自由だよ」心の中であやまりながらイチローは正門の前の生徒の列を横切る。
生徒は、ぐったりとしていて、イチローが通り過ぎたことにも無反応だった。
時間は昼下がり、太陽がますます暑くなっていた。
運動場の脇をひっそりと歩いていくイチロー。タフベストはロープロファイルで目立たない割に色々なものが収まった。脇ポケットに、サイズギリギリだがスタームルガー22オートサプレッサーが入り、各ポケットにマガジンが12本入っている。タケが長いのでいい具合に警官から奪ったXD9のガンベルトも隠れている。
暇をもて余したのか、運動場でAK74を背負った3人の犯人がサッカーをやっている。恐らく仮眠をとれと言われているグループだろう。イチローがかつて密かに解決のアドバイスをしたペルー日本大使館人質占拠事件の犯行グループ、「ツパクアマル」もよくサッカーをしていたのを思い出す。
イチローは、3人とも即座に殺すべきだろうかと思案していると、「セミエン(用務員)、お前も入るか?」と聞いてくる。「キーパーがいなくて面白くないんだ、入れよ!」と犯人が言う。ゴールポスト脇に立派な仕立ての三つ揃えを着た50代男性の遺体が置かれている。別の犯人が「こんな老いぼれじゃダメだろ、殺っちまったほうがよくはないか?」「それより老いぼれセミエン、俺たちとPKをしよう!お前が俺たち3人全員のシュートを止められたら足を撃つだけにしてやる。2つしか止められなかったら手足を撃つ。1つしか止められなかったら頭を撃つ。1つも止められなかったら体育館で日本人のガキどもを10人撃つ。大人の不始末は子供が拭わなくちゃな。ところでそこに転がってるキョートーとかいう爺は最後の1球だけはとめたぜ。案外根性があって見直した。お前の場合はどうかな?セミエン?」。「わかった。ワッシは必ずそのボールを止める。全力できなさい」と挑発する。浅黒い、アディダスを着た160センチくらいの男が、AKとチェストリグを脱ぐ。サッカーには不向きなパナマソール・ジャングルブーツを脱ぐ。「骨のありそうな爺だ、殺すには惜しいが本気でいかせてもらうぞ!」AKを水平にイチローに向け続けている残り2人の敵が、左右からイチローの両の肩をひっとらえてキーパーポジションに連れて行こうとした。イチローにとって最大のチャンスだった。敵のAKを奪えば早く仕留められたが、それでは銃声が響いてしまう。それが今、3名の内2人はAKから手を離して、イチローの両肩をつかみ、残る1人はAKをおろして、シュートコースをどうとるかに気をとられている。イチローは左右の敵のAKのボルトを素早く3分の2引き、ゆっくりと戻す。チェンバーに入っていた一発が中途半端に抜けでてくるが、ボルトの後退量が足りないので排莢はされない。しかし、ボルト先端はマガジン内の次弾をチェンバーに送ろうとしてしまう。強い力でオペレートするとどちらかの弾がチェンバーに入ってしまうが、ゆっくりと前進させられた弾薬2発に互いをはじく力はなく、ダブルフィードになる。AK74を止めるにはこの方法が一番だ。次いで、レシーバーカバーを外し、長いリコイルスプリングのロックを外してしまう。マガジンは抜かない。せっかく作ったダブルフィードジャムが解消されてしまう恐れがあるからだ。あまりにもイチローが素早くAKを分解したせいで、ここまで自分の銃をいじられても2人の敵はイチローの肩をつかんだままだ。イチローはふと思った。「人を連行することに慣れていない男たちだ。先ほどからのAKのガンハンドリングも甘すぎる。素人だな」。イチローは素早く菊ナイフを抜いて逆手に持ち、右側の敵の左鎖骨のすぐ後ろに骨に邪魔されず心臓を突ける箇所がある。8インチの菊ナイフはバターにバターナイフを刺すような手ごたえを残して突き立っていく。心臓を突き刺したところで右手でルガーを抜き、サプレッサーを左の敵の耳の穴に垂直に押し当て、5回トリガーを引く。そうしているうちにリグを外してサッカーボールを蹴ろうとしていた3人目の敵は、何とかAKをこちらに向けていたが発砲できないでいる。味方を撃ちそうだからだ。「仏心は、悪人には似合わんよ」つぶやきながらイチローはルガーの銃口を向けなおし、やや丁寧にサイティングしながら右手の平と人差し指の付け根に残り5発を撃ち込む。握力を無くした敵がAKを放り出す。イチローは素早くマグチェンジをし、ルガーに次の10発を送り込む。右手を押さえて立ちすくむ男に、「体育館に生徒はいるんだな?お前が嘘をついていなかったら放してやろう。嘘なら心臓を撃ちぬこう。」男は先ほどのイチローの銃撃で右手人差し指が削げ、中指は切断されているようで、脂汗を流している。「どうだ?生徒は体育館か?」「カップ!(はい)」「若い女と少年が別室に連れて行かれたが、それはパニックルームか?」「カップ!(はい)」「校門の人間爆弾を考えたのはお前か?」「マーイ!!(違う!!)」「では誰だ?」「俺たちじゃない」と男。「外部からの指令か?」とイチロー。「ふっ、ふあっはははは!あんたたちの味方だよ」「なに?スリーパーを潜り込ませたのか?」と焦るイチロー。「スリーパーなもんか、あんたらの学校の教師だよ。木村先生、といったかな。そいつがチーフだ」男は笑いがとまらない。イチローは「木村以外に協力者は?」「おい、あんたは全部聞いたらどうせ俺を殺すんだろう?メーホーソンの田舎におふくろがいるんだ。この仕事がうまくいったら家を建ててやれるんだ。おふくろは脚が不自由で、今のボロ屋じゃない、雨漏りもしない家に住まわせてやりたいんだよ。木村のことをしゃべったことは誰にも言わないでくれ。戦闘で命を落としたら、大ボスから契約額の半額はもらえる約束なんだ。あんたが心臓をさした男の名前はグーン、透析を受けてる娘がいる。病院にかかる金がないと娘が死ぬんだ。撃たれた男の名前はプラテット、一旗揚げてイサーン(東北部の田舎、極貧)に帰るのが夢だったんだ。俺たちがしたことは悪かったのか?家族の幸せを願って、一生懸命働いて何が悪い!」「お前の話で一つだけ確かなことがある。話を聞いたら、お前を殺す。大ボスの正体を明かせば金の分配はさせよう。大ボスはだれだ?」「パク。パク・リーと呼ばれてる。知っているのはそれだけだ、それ以上は木村に聞いてくれ」「委細、承知した。しかし、お前は正しく働いて家族を幸せにするべきだった」イチローが、ルガーを男の喉の下から脳幹に向けて突きつける。「心臓じゃないのか?」と男。「この方が楽に死ねる」とイチロー。「ああ、おふくろ、俺は救いようのない馬鹿だったみ・・」プシュ!プププププシュ!男はこと切れた。
イチローは菊ナイフを死体から回収しながら、暑すぎる屋外を歩く。「木村先生が共犯?」「スリーパーがまだいるなら残り誘拐犯12名ー3名=9名という考えは成り立たなくなってしまう」「ともかくジュンを連れ出さねば!」
敵のAKを拾い使うことも考えたが、遠距離を撃つことを前提にしているライフルは、ドットサイトでも載せていない限りサイトと銃身線の差から弾が下目に飛び、至近距離ではエレベーション方向の狙いがアバウトになる。それに児童生徒のいるところで5.45mmは強すぎる。ルガーと腰のXD9が頼りになる。
イチローが運動場で戦っている頃、体育館内は、整然としていた。どうやら犯行グループは、同じスワングループをなのってはいるがプロフェッショナルとそうでないもの、日本風に例えれば極道とチンピラのように別れていた。立て籠もり序盤で女子中学生に暴行を加えようとして松浪先生に体当たりされ、逆上して彼とその同僚を射殺した「チンピラ」は、リーダーのグエン・ターによりリンチにあっている。まったくの無秩序というわけではなかった。人間の盾爆弾を考え出した木村先生と鳩山先生についても、「日本人とはなんと恐ろしいことを考えるのか?」と戦慄を覚えたものだった。体育館に門扉はあり、施錠もできた、しかしあまりの暑さで熱中症が多発したため水道に通じる扉は開け放ってあった。
ひょっこりとその入り口に老人が現れた。老人はいきなり死体につまづきそうになった。くだんの、リンチに遭った誘拐犯グループの一味である。事情はよくわからないが敵はあと8名と木村、ということになる。グエン・ターは驚く、どうやってここまでやってきた?見たところ警官ではない。
イチローは、偽プレス証を掲げて、「ケンシ出版の現地特派員、イチローと申します!代表とインタビューをしたい!!」グエン・ターはAK74を構えながら「俺がリーダーのグエン・ターだ。175センチ、80キロとタイ人にしては大柄な男がやってくる。「日本政府はテロリストと交渉はしないんじゃないのか?」馬鹿にしたようにグエン・ターが聞く。「政府じゃない、ジャーナリストが特ダネを求めているだけだよ」会話をしながらイチローは敵の配置を見る。驚いたことに9名、正確にはリンチで死んでいる1名も引いて8名全員が体育館にいる。まずい状況だ。単刀直入に「若い女性教諭と少年はどこに行った?」とジュンと張晴君の居場所を聞く。「解放したよ」とグエン。「脅しの材料にいいだろうとパニックルームでなにか撮影していたみたいだが、部下はその功に免じて解放したといっている。しかし、教員の木村と鳩山も消えてしまった。一緒に逃げたか、木村、鳩山が連れて行ったのかはわからないが忽然と消えた。」ここまで苦労してきて、イチローはジュンの居場所を見失ってしまった。
「で、爺さんただのジャーナリストじゃないだろう」グエンがイチローのタフのベストをめくるよういうと、XD9が一丁と予備マグが2本刺さっているのが丸見えになった。
「ここまで一人で乗り込んでくる爺さんだ。殺すには惜しい。が、やむをえまいか」グエンは、元軍人らしい大きな通る声で次のように指示した。「全員、このジジイを撃て!」これはイチローにとっては大きなヒント、大きなチャンスとなる一言だったし、グエンはイチローの能力を過小評価しすぎていた。
生徒の間にしゃがみ込んでいて見づらかった誘拐犯も、隣室にいた誘拐犯も、揃って出てきてイチローを撃つ準備をした。初見となるイチローの姿を確認するためみんながみんな立射と膝射姿勢をとったのもイチローにとって有利だった。目の前のグエンの胸、致命傷をはずす位置に菊ナイフを刺しこむ。と、同時に残り7つのターゲットにXD9を速射していく。狙うはヘッドショットのみ。一瞬のできごとだった。
イチローはグエンに詰め寄る。「たった今、お前の仲間はすべて殺した」とイチロー。「ジュン・・・若い女性と少年はどこだ?」「ははは!だから言ったろう?学校職員のはずの木村と鳩山が連れて行った。パニックルームを調べてみることだ。途中で戦死した場合、約束の額の半分はもらえる」「パク・リーからか?」「なぜそれを知っている?」「半額?もらえるものか!作戦を失敗させた無能として一族殺されるのが落ちだぞ」「そんな?知ってるのか?パク・リーを・・・」「ああ」とイチロー。菊ナイフをグエンから抜き喉笛に突き立てた。派手に血しぶきが散る。メガネが汚れる。清潔好きなイチローは、ドナギーからおまけでもらった「ふきふき」というレンズクリーナーでメガネを吹きつつ「学校占拠は、金を目的にしたテロリズムに見せかけられた陽動、おとりだったのか!世界中の耳目を集め、金目当てに動いたように見せかけて、目的は別にある。水谷コーポレーションの子息がカギになるのは間違いないようだ。ではジュンが巻き込まれたのはなぜだ?裏切った2名の日本人教師は今、ジュンたちと一緒にいるのだろうか?ジュンよ、今どこに?XD9から抜弾し、ルガーの弾も抜き、体に装着しはじめる。イチローが学校の外壁を壊し始めるタイ軍工兵隊の音が聞こえる。
イチローは全先生を集め、もう少しだから児童生徒に座っておいてもらいたい旨を伝え、目の前で人が殺された心のケアをお願いした。
次に、重要な質問、木村先生と鳩山先生はジュンと張晴君をどこにつれていったのか?を聞かねばならなかった。
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イチローは体育館で考えた。自分は確かに12名の敵を倒した。しかし、いずれも手ごたえのない、素人ばかりだったではないか。警察のジャマーが消えたので死んだグエンの携帯電話をいじってみるが、通話でグエンが死んだことが確定されるとジュンの身に危害が及ぶ恐れがある。メールを読もうにも、タイ文字の読めないイチローには無意味だった。とりあえずグエンのズタ袋に入れてもちあるくことにする。校長をつかまえ、爆弾を仕掛けられている生徒はいないか?救急措置が必要な生徒はいないか?連れ去られた水谷という生徒は必ず助けるので安心するように。と早口で聞き、しゃべり、最後に重要なことを問う。内部で施錠されたパニックルームを外側から開ける方法を問うた。今、時刻は午後3時。誘拐グループが進入してきて24時間になる。

バンコクから、70キロ南にくだったところにパタヤ市という海に面したリゾート地がある。渋滞につかまらなければ車で小一時間といった距離だ。パタヤ市はベトナム戦争中、休暇や後方支援でタイを訪れる米兵相手の歓楽街として発展した。今も200件をこすゴーゴーバーが並ぶなど、町全体が歓楽街になっているかのようであり、東京でいえば歌舞伎町に相当するであろう。木村と鳩山は、パタヤのビーチから沖合2キロに浮かぶコ・ラン(ラン島)にジュンと張晴少年を運んでいた。本来ならもっとずっと早くついているはずだったが、渋滞に巻き込まれたのとジュンの抵抗が激しかったため手こずってしまった。

今は張晴君もジュンもべゲタミンという強力な薬で眠らされている。木村も鳩山も、張晴君が水谷君と入れ替わっていることに気付いていない。ジュンが「張晴君が水谷君ではないとバレれば殺されてしまう」と判断し、常に張晴君に対し「水谷君」と呼びかけていたし、木村も鳩山も生徒全員の顔を覚えるような仕事熱心なタイプではなかったのも幸いした。

バンコク日本人学校のパニックルームには1週間分の水と食料、替えの衣類(ただし、小学校低学年用)の他に「学校敷地外に出るトンネル」が設定されている。大人2人が車いすにのった生徒、時にはストレッチャーを運び出せるよう、結構な大きさのある通路となっている。この通路を使うのは、よほどの事態が起きた時であり、生徒もその存在を知らないし、職員も教務主任、教頭、副校長、校長、それに障碍児学級担任だけが知るのであった。トンネル出口は、学校の塀のはるか外、スクンビット大通りに建てられた小さな事務所の床である。この事務所は偽装のためだけに建てられたものであるが、日本人児童生徒の教科書販売店としての顔も持っている。車いすをスムーズに移動できるよう、極力急な坂や段差はなくしてある。その結果、トンネルの長さは長くなり、スクンビット大通りまでのびたわけだが、スクンビットはバンコクの中心、中核をなす大動脈である。ここで人ごみに紛れれば追っ手をまけるようになっている。

イチローはパニックルームのトンネルの存在を、今初めて校長から聞いた。トンネルのことは喜多長にもらった見取り図にもなかった情報だ。「大丈夫ですよ、パニックルームにはジュン先生、木村先生、鳩山先生がついて張晴君を見守っていましたし、あなたが敵を全員殺してしまった。見張りももういないでしょうから、こちらから『外は安全だよ』と伝えれば出てくると思います。どれ、私が呼びにいきましょう。私がほかの特別教室の入り口と一緒に毎朝パスワード更新しているのでね、私が開けるのが早いでしょう。」校長が行こうとするのをイチローが止めて詰問する。「木村と鳩山は犯人の仲間だ。きっと今頃はトンネルを出てどこかにいっている。一応、パニックルームを確認はしてもらいたいが、きっとカラだと思う。ワッシはトンネルの出口を知りたい。出口住所を教えてくれ」「!!!?木村先生と、鳩山先生が仲間?本当ですか?」驚く校長。「重要なのはそこじゃない、出口はどこだとワッシは訊いている!」イチローが語気を強める。「場所はスクンビットソイ3。グレースホテル脇の小さな教科書販売店。アラブ人が多く屯しているところに、日本語の看板があるからわかりやすいはずだよ」と校長。「わかった、すぐ行く」とイチロー。「いや、あなたはここに残ってほしい。うちの職員を向かわせますし、校長である私自身の目でも確かめてきます」「それは危険では?」「それが仕事です」。

イチローが体育館を出ようとすると中年現場責任者の警官が息せき切って近寄ってきた。「クンチューアライラ?(あんたは誰なんだ?)。警官でないことはわかっている。あんたが脱いで行った制服はカオサン通りでよく出回っている偽物だ。それにあんたの拳銃、それ、そのスプリングフィールド9ミリを奪われたカンという警官があんたそっくりのジャーナリストにやられたと証言している。ちょっと警察署まで来てもらおうか?」

中年現場責任者の話を聞いているうちに、若い日本人先生が大声で告げてきた。「大変です!!今、校長先生とパニックルームを見てきたんですが、誰もいません。ジュン先生も木村先生も、鳩山先生も張晴君も消えています!非常用トンネルが使われたみたいです!」

イチローが焦る。いっそ、この責任者を気絶させて押しとおろうか?と考えていると聞きなれた声が聞こえてきた。「イチロー、なんかへまやったみたいだな?こりゃ~お前さん宛ての請求書に目いっぱいサインをもらわなくちゃな」ぬぼーっとした大男が大股で近づいてくる。「丸波!!」イチローが目を丸くする。「田村さんを待っててね、ちょっと遅くなったよ、すまない」。田村は陸自あがりで、イチローに伍する近接戦闘能力をもっていた。退役後は身に着けた戦闘テクニックを各都道府県の警察銃器対策班や痲取の突入班、SAT隊などに指導していたが、民珍党時代になるとすべての契約を絶たれ、つてを頼ってタイに来ていた。タイ北部、チェンマイのさらに北、メーホーンソンを中心にミャンマー政府軍と戦うカレン族に戦闘を教える仕事をしている。見れば運動場では、田村の部下が体育館から一人ずつ爆弾ベストを着せられていないか、トランスミッターを仕込まれていないかボディチェックをして子供たちを連れ出し整列させている。どこから取り寄せたのか並んで座る児童にゲータレードのペットボトルと塩の錠剤、ビタミンの錠剤を与えている。整列する児童生徒を警官隊が囲み、さらに外側を保護者が涙ぐみながら見守る。さらに人間の盾にされていた他2か所の男子中学生も、タイ軍工兵隊によって手りゅう弾の取り外しがおわったようだ。ヘリの音が聞こえてくる。報道だろうか?遺体搬送用の軍警察ヘリだろうか?どちらにせよヘリによる強行突入を恐れた犯人グループがローター音を耳にしたら人質を殺すといっていたために、現場は飛行禁止になっていたはず。ヘリの音が聞こえ始めたのは、犯人グループが消えたことを実感させるものだった。

しかし、その様子を見てもイチローの心は晴れない。ジュンが連れ去られたままなのだ。「丸波、ホステージシチュエーションはまだ続いているんだよ。ここで足止めを食らうわけにはいかない」。「だからこれがいるでしょう?ジャーン!!」丸波は高級な辞令用紙に印字された3枚の書類をイチローに見せた。3枚はそれぞれタイ語、英語、日本語で同じ内容が書かれているようだった。日本語の書類の題名に目を通すと「特殊外交官免責特権覚書」とある。「今はドナギーの偽造屋で作った偽物だけれど、文面や内容は・・・」とここまで陽気に話していた丸波が急に言葉を詰まらせ、目に涙を浮かべる。絞り出すように「その書類の文面や内容はジュンが、ジュンと少年が帰ってくれば本物になる。そういう手はずだ。イチロー、助けてやってくれ・・・」。「わかった」とイチロー。と、そこに中年責任者が割って入る。「日本語でしゃべるな!タイ語で話すんだ、何を言ってるかさっぱりわからん。とにかくジイサン、あんたは警察署に来てもらうぞ」その面前にイチローは丸波にもらったばかりの「特殊外交官免責特権覚書」のタイ語版を見せる。「なに?無制限で火器使用可能?やむを得ない殺人は咎められない?イチローに協力する日本人で、イチローが承認するものには同様の権限が与えられる??正気じゃないぞ、こんな命令。まるでこのジイサンはジェームズ・ボンドかジャック・バウアーだ。ふざけている!」中年責任者は呆れるやら怒れるやら、感情の整理ができそうになかった。
それを横目に丸波は残念そうに付け加える「だがな、タイ警察の『黙認』と『不逮捕』は盛り込めたが協力要請まではできなかった」。「ジャパニーズだけでやれ、そういうことだな?」とイチロー。「ん?」丸波とイチローが近寄ってくる男の気配を感じて会話を止める。イチローのすぐそばに男が立ち止まった。「コンジープン(日本人)同士がんばりましょう。私にも協力させていただけませんかな?」と50代の品の良い男性が言った。横に涙で顔を腫らした少年が立っている。「私、こういうものです。水色の高級シボ加工が施された名刺には「水谷コーポレーション代表取締役」とある。あの大富豪にして巨大コンクリート会社の3代目若社長である。とすると、隣の少年は、張晴君と入れ替わった水谷君か?イチローは保護者の群れに混じって、4名の筋骨たくましい武道経験者がいるのを察知した。こういう場所であるから武器は持っていないが、その気になれば素手でかなりの人数を撃退できそうだ。無線機は先ほどまでジャマーで使えなかったので身に着けていないが、アイサインとハンドシグナルで意思疎通できるプロのボディーガードである、とみた。「聞けば誘拐グループは、我が水谷コーポレーションに5億の金を要求したそうで。金のことも許しがたいのですが、うちの息子を誘拐しようとした。絶対に許せません。息子に聞いた話ですが、張晴君という級友が息子の身代わりになって連れ去られたままだ、と。本当ですか?」「本当だよ!」と変声期の声で水谷の息子が答える。「その子は今どこに?」「水谷社長、我々もそれをさがしているんですよ、私は丸波。娘を連れてゆかれました。娘はこの学校の教師です、大切なお子様たちをお守りできなかったことをお詫びいたします。」「丸波さん、さぞおつらいことでしょう。それに、私のことは社長ではなくMIZとお呼びくだされば幸いです」

そのやり取りをしている間に校長が息せき切って帰ってきた。「スクンビットソイ3のトンネル出口まで行ったが、誰もいなかった。しかし、内側からキーが開けられていたので間違いなくそこを通ったのだろう」と。それだけ言うと校長はパタリと床に伸びてしまった。

武装しているかもしれない(確実にしている)木村先生と、鳩山先生を、わが身を顧みず非武装で走り、追いかけたのだからこの校長もなかなかの根性をしているとイチローは思った。

イチローはMIZに問いかけた「MIZはタイの在住長いの?」「ボウズが小2の頃からだから、7年になりますわなぁ」「では、このケータイの意味は分かりますか?」とイチローがグエンから奪った携帯電話を差し出す。「お預かりします。ははは、どうもこりゃいけませんな。私はタイ語のスピークは流暢になったほうだと思いますが、文字は読めません。トーン・チャイ!来い!」MIZが大声を出すと先ほどイチローが察知した4名のボディガートの内の一人が音もなく近寄ってきた。「このケータイのメールを日本語に直してくれ。難しければイングリッシュでもいい」とMIZ。トーン・チャイは手に取ったアイフォンの標準メールアプリを開き、中を読もうとする。アイフォンの指紋認証は、イチローがグエンの死体の手を使ってリセットし、指紋認証、パスコードともに無効にしてある。アイクラウドのメールに異常はない。アップルからのお知らせだけだ。使われている形跡がない。次にトーンはGメールを開こうとするがアカウントに対するパスワードを求められてしまう。グエンのアイフォンの中でパスワードがかかっているのはGメールだけだ。これが一番怪しい。なんとしてもこれを見たい。グエンを始末する前にパスワードを聞いておくべきだったか?しかしグエンのことだ、口は割らなかったろう。イチローはカオサン通りのドナギーにスピーカーフォンで電話をかけ、グーグルアカウントのパスワードを割り出すのにかかる時間と費用を訊いた。ドナギーはやや興奮気味に「テレビで映ってるコンジープン・ロンリアン(日本人学校)はあんたが犯人をやっつけたのか?テレビじゃ警官隊が勇敢に突入した、って伝えてるけれどユーチューブには俺が貸した衣装を着た爺さんが正門の人質を助けて、着替えたあともう一度正門から一人で入っていく映像が流れてるぜ。ツイッターでもあんたのことが話題にのぼっている。1人で10人やっつけたってさ。あんたカンフーでもやってるのか?」「ドナギー、質問に答えてくれグーグルアカウントのパスワードを幾らで割り出せる?」とイチロー。「アカウント名はわかってるんだな?じゃ30秒だ。グーグルはモホロビチッチ・メソッドで簡単に割り出せる。費用は5000ドルだが、あんたの活躍に免じて1割値引きしてやる。4500ドルだ。金は気が向いた時でいい。昨日今日と日本人の上客が多くてな。しばらくピピ・ビーチにでもいって羽を伸ばしてくる予定だ。」横からボディガードのトーン・チャイが口をはさむ。「4500ドルだと!ぼったくりすぎだろう。今はシタデにでているが、お前の耳を削いで無理にやらせてもいいんだぞ!」イチローが口を開く。「トーン、今はメールを読めることが最優先事項だ。金ならなんとかなる。ドナギーの機嫌をそこねないでおくれ。ドナギー、金は約束する。作業を進めてくれ。今、アカウント名を転送する。」転送から30秒経たないうちにドナギーがパスワードを口にする。「『チュラローク将軍万歳』、だ。繰り返す、チュラローク将軍万歳、がパスワードだ。綴りはさっきのトーンとかいうアホに聞け。中学生でも知っている名前だ」「コープンカップ、ドナギー(ありがとう、ドナギー)」といって電話をきり、グエンのアイフォン解読に戻る。ドナギーの伝えたパスワードでGメールが開いた。Gメールを開けたトーン・チャイだったが、その顔が曇る。「どうした?」とトーンにMIZが問いかける。「社長、この男のメールはすべて恋人とのラブレターになっています。変わったところはありません。相手の女性らしい日本人が写っていますが彼女がさらわれた女性でしょうか?」どれ、とイチローがアイフォンを手に取る。わからないタイ文字は、何度みてもわからない。しかし、文字列の下に小さなフォトのサムネイルがあった。見覚えのある顔が低解像度の画像枠の中に浮かんでいる。「ジュン!ジュンじゃないか?」真っ先に反応したのは父親の丸波だった。丸波はアイフォンを奪うとサムネイルをタップして画像を大きく展開する。まぎれもないジュンの顔だった。イチローはその背景部分を注視する。背景はパニックルームの壁面だった。手掛かりにはならない。では、他のメールはどうか?いつまでもジュンの顔を見つめ涙ぐんでいる丸波からアイフォンを取り上げ、次のメールを見る。こちらには少年の顔が写っていた。水谷少年に訊くと「張晴君だ」という。背景面はパニックルームの壁。これも手掛かりにはならない。イチローはさらにほかのメールを開く。白人女性が笑顔で写っていた。背景はバンコク中心のサヤームスクエアだろうか。なぜ白人?このメールにはReがついていた。心なしか固い表情で先ほどの女性が写っている。背景はどこかのビーチだ。青い空の元、椰子が連なる道路と、砂浜、船も見えるな、とイチローが背景の観察に入る。
見つくしたところで次のメールを見る。今度は日本人か台湾人かわからないが、若い女性が笑顔で写っている。このメールにもReがついており、そこには泣きぬれた同じ女性がビーチに立っている姿が写っていた。その次のメールにも別の女性の、バンコクで撮られた写真と、暗い表情で写ったビーチの写真。その次もそうだった。イチローがひらめく。「そういうことか!」一同がイチローを見つめる。「イチロー、何かわかったのか?」「グエンは誘拐犯だよ」「そんなことはわかっている、ふざけているのか?イチロー」「まぁ、みんな聞いてくれ。グエンのグループはスワングループの中でも誘拐専門なんだ。グエンの部下がバンコクで誘拐対象に声をかける。確かに対象人物を確保した、という意味でグエンに画像をメールする。次に、どこかのビーチに輸送する。そのビーチが誘拐被害者を一時的にか、永遠にかは知らないが受け入れる場所なんだろう。ビーチに連れて行った部下は無事に着いたことをグエンにメールする。笑顔で写っているのはナンパされた女性で、きっとこの先ビーチで競りにかけられて売春宿にでも売られていくんだろう」「本文がラブレターになっているのはなぜですか?」ボディガードのトーンが聞く。「残念ながら君の国、タイは人身売買の中継地という汚名を着せられているし、実際そういう側面がある。今もタイ版「エシュロン」の監視下にある。誘拐を意味する隠語はほとんどすでに登録されていると思ってかまわない。それをすりぬけるには、そしてもしすり抜けきれずにピックアップされたらどうか。甘い言葉のラブレターと笑顔の女性。別れて寂しいという言葉と泣き顔の女性の画像。つじつまがあうので、分析官は問題なしと分類してしまう」「そうか!!」と一同うなずく。「ではこのビーチがどこかわかれば解決に一歩近づくな。手掛かりはないか?」。MIZはどこかで、このビーチをみている気がした。ビーチのカタチではない、海の色がなぜか印象に残る。もともと澄んだきれいな海水だったところに工事用土砂や生活排水を混ぜてしまったようなどんよりとした水色。と、MIZが6枚目の画像にボートのテールが写っているのを発見した。タイではすべてのプレジャーボートにTXxで始まる12ケタの番号を記し、登録するようになっている。TはタイランドのT。Xxの部分には各県の頭文字が入る。バンコクならTBa、ノンタブリーならTNo、ベッチャブリーならTBcとなり12ケタの数字が連なる。MIZが見つけたボートのテール部分には登録番号が3ケタしか写っていなかったが、幸いもっとも大切なアルファベット部分は読み取れた「TCy924・・・・」と読める。「TCy?チョンブリー県だ!」MIZとトーンが同時に叫ぶ!イチローがMIZと固く握手を交わす。「チョンブリーでビーチといえばパタヤのラン島(コ・ラン)だ、間違いない」とイチロー。MIZはなぜこの海の色に見覚えがあったのか合点がいった。ラン島なら今、建設ラッシュで、水谷コーポレーションのセメント部門が引っ張りだこ。現地視察と商談で何度も行っていた場所だ。イチローは「間違いないと思うが念のためTCy924で始まるプレジャーボートが実在するか警官に調べさせるんだ」といつの間にか話の輪に入っていた田村に告げる。それを聞いた田村は部下のタイ人隊員に命令をくだす。タイ人隊員は警官にボートの番号照会を頼むと、その警官はすっとんで本部テントまで走って行った。タイ警察スワット、および居合わせたタイ警察官は田村の部隊があまりにも手際よく人質だった生徒や先生をケアしていく様子を見て、練度の違いを見せつけらせられることになり、田村部隊にあこがれを持つものも出始めていた。

田村が準備した2台の払下げハンヴィーに分乗して近くのクルンテープ小学校の校庭に移動。そこからは水谷コーポレーションの社用ヘリでパタヤ・ラン島を目指すことにする。

免責は日本人のみ有効なので、イチロー、丸波、MIZ、田村と田村の部下の中でも日本国籍を持つ2名が救出に向かうことになった。田村の部下2名はともにケンという名前であったので、野沢ケンの方をノザケン、長崎のケンの方をナガケンと呼んで区別していた。ノザケンは拳銃の命中精度に強いこだわりを持ち、自分用の弾はすべてリロードして作り弾丸と銃身の関係性がいかに命中精度をあげるかを説いた「クリーンヒッター理論」を提唱し、日本の、いわゆるガンマニアから厚い支持を受けていた。対照的にナガケンの方は体術に優れ、対ナイフ、素手の格闘はもちろん、銃を持った相手に対しても簡単に敵の銃を奪い、首を締め上げることができた。クラブマガを基本にした彼の格闘術は一部イチローを超える部分もあるほどだった。

日本人学校校長と、水谷少年はどうしても同行を願ったが、校長はイチローに説得され、水谷少年はMIZに一喝されて諦めている。

2台のハンヴィーは、渋滞のバンコク市内にクルンテープ小学校を目指して出ようとした。イチローがスタームルガー22オートで中学生を助けた正面ゲートは、今、一切の仕掛けが取り払われ、報道規制が解かれたのを待ちわびたテレビクルーでいっぱいである。

人質だった児童生徒は田村部隊のボディチェックがすんでもなお、タイ警察による聞き取りが行われているようで、まだ家路にはつけていない。「桃助の父親は、無事桃助と会えるといいのだが」右腰の菊ナイフをヒトナデしながらイチローは思った。

キキキー!!っと音を立ててイチローの前を走るMIZのハンヴィーが停まる。「どうした?」警察ジャマーが解かれているので無線を使える。無線で丸波がMIZに訊いた。MIZが答えるには、車の前方に日章旗を掲げた日本人らしい男が立っている、という。日章旗の男は、MIZのハンヴィーをのぞきこみ、誰かを探している気配だったが、見つけられなかったのかイチローの乗る2代目のハンヴィーに歩いてくる。無線でなくてもその派手ないでたちは目視ですぐわかった。敵か?とイチローはスプリングフィールドXD9のコッキングインジケーターを指の腹で触ってすぐ撃てる状態なのを確認したが、近づく男の顔が見えると緊張を解いた。男は、まずハンヴィーの中にイチローを見つけるとニカッと白い歯を見せて笑う。180センチの長身だが体に余分な肉がないので実際より小柄に見える。そして、拡声器をつかったかのような大きな、邪気のない声で「どーも、どーも!イチ師匠!佐伯でございます!イチ師匠、ちょっとよろしいですか?ぜひ使っていただきたいものがあるんです。いやいや、いーとですよ、いーとですよ、言わんちゃ、分かっております。まだ戦いの続くとでしょ?」バンコク・サバーイ・ガンショップの店主、佐伯がまくしたてた。イチローらはハンヴィーを降り佐伯のあとをついていくと、西鉄と書かれた大型バスが一台停車していた。中に入るよう促される。入って一同驚いた。バスの座席はすべて取り払われ、AT4、RPG7、M18クレイモアが運転席の後ろにゴロっと転がされ、M2ブローニング50口径が2丁立てかけられていた。バス後方には大量のH&K・MG4、FN・M240B、M60E3、FN・M249ミニミがラックにかけられていた。「イチ師匠、こんなのもありますよ」佐伯が指差す先にはM134ミニガンまであった。「さ、どーぞどーぞ、お好きなものを持って行ってください」
小銃の立てかけられたエリアに来ると、M4とAK102がズラッと並んでいる。MP5もKA4からA5、A5B&Tモデルまで揃っている。
拳銃はSIG、グロック、ベレッタに限られ、45口径や40口径はなかった。

拳銃の棚を過ぎるとウェアやリグ、プレートキャリア・アーマーのコーナーになっていた。

さっそく田村と田村の部下が今着ているBDUの上にアメリカン・アーマー社のセラミックキャリアーを着こみ、そのモーリー部分にホルスターを着けていく。MIZはM249とその弾薬帯ボックスを体に固定していく。丸波はスワットナイフを太ももに固定した後、MG4と弾薬帯1200発分を持ってよろけながらMP5SD6まで持とうとする。

佐伯は、サバーイ・ガンショップで扱っている表の商品も「裏」の商品もすべてをバスに搭載してきたのだ。イチローからスタームルガーの注文を受けてから、こうなることを見越して不眠不休で積み込み作業を行ったのである。佐伯は、20年前、日本のとあるLE(ロゥ・エンフォースメント)に勤務していた。専門的な勉強をしたわけではないが、ホステージレスキューに天性の才能を持っており、当時頻発していた人質たてこもり事案をネゴシエーターとしても、一般捜査官としても何件も解決に導いてきた。しかし、佐伯でも手におえない事案が起こったのは冬の寒い晩である。北朝鮮から脱北船が流れ着き、船上に遺体が遺棄されている、という通報で港に駆け付けた。佐伯の同僚が船外からサーマルスキャンを掛けると、船内にまだ温かい体温を持った人間が4人いるという。朝鮮語のできる捜査官が「出てきなさい、あなたたちはもう日本に着いた。恐れることはありませんよ!」脱北者に語りかけるが動く気配がない。「衰弱して動けないんじゃないか?」一刻も早く助けなければ、と同僚は船底室に通じるハッチを開けた。北朝鮮製の船は、脱北を防ぐため、船底の設計に制限がかけられており、日本のボートや漁船のように船底がとがった形になっておらず、イカダのように平らになっている。安定を欠き、遠洋航行が難しいのだ。脱北者はたいていその船底の平らな板の上を居住区画として使い、波と寒さをしのいでいる。生き残っている4人はきっとそこで救助をまっているのだろう。捜査官が開けたハッチから顔を中に覗かせる。と、パン!という音とともに同僚の顔が弾ける。続けざまにパパパパン!と発射音が続き同僚の体に穴がうがたれていく。中の4人が一斉にAK47を撃ちながら出てきた。佐伯は支給品のS&W・M10・4インチを抜いたが先に脇腹に1発食らってしまう。7.62×39AK弾は、近距離で強烈な破壊力を持つ。防刃ベストを貫通し、AK弾が腹に入ったことを「熱さ」で佐伯は知った。景気よく撃ちまくる北朝鮮ゲリコマは応援の2人を蜂の巣にしてしまう。佐伯は悟っていた。この腹の熱さがひくと、それは痛みに変わり、激痛と出血で動けなくなる。やるならその前だ。佐伯はダブルアクションの名手だったが、悔しいが今は重いDAトリガーを正確に引く余裕がない。左手親指でハンマーを起こし、シングルアクションでゲリコマの後頭部を撃つ。25mで敵に見立てたターゲットペーパーの目玉を撃ちぬける腕前を持っている佐伯だ、4m足らずの距離で後頭部を外すはずがない。脳漿を吹き上げながらゲリコマ1人目が倒れる。次の1人をサイティングしざまに左親指でハンマーをコックする。仲間が倒れたのに驚き、横を向いた横顔の耳の穴の2センチ下に38口径弾を撃ち込む。撃たれたゲリコマはドウっと横ざまに倒れる。次の標的は応援の2名の遺体になお止めの一連射を加えているゲリコマ。その後頭部と首の接続部を撃って小脳の機能を奪うと同時に延髄を切断し、身体の動きを止める。呼吸も心拍も止まってジキに死ぬだろう。4人目のゲリコマは佐伯めがけてプローンでAKを撃ってくる。距離は10mほどしか離れていないが倒れこんでいる佐伯は闇に溶け込んでおり、ゲリコマからは見えない。パパパン!とゲリコマがあてずっぽうに撃ってくる。そのマズルフラッシュの位置を暗記し、相手が右利きだと仮定してマズルフラッシュの見えた場所から5センチ右を狙い撃つ。「ウグッ」っという声が聞こえ、立てたAKが横向きに倒れる音を聞き、4人目のゲリコマが死亡したことを確信する。っと、同時に脇腹が猛烈に痛み出した。大腸を切断されたようだ。自分の腹の中を血が勝手に流れていくのを感じ、気が遠くなる。「アンニョーン?」声が聞こえてきたのは後ろからだった。4名の大きな熱反応に隠れて、5人目の女性を見落としていたのだ。佐伯は、激痛に耐えて体を反転させ、重そうにAK47を構える女をM10で狙う。女はほかの4名が死亡しているのをみると泣き出した。AKを捨て、上着を脱ぐ。中に自爆用ベストを着ていた。点火スイッチを押そうとする。が、怖くてためらっているようだ。佐伯はすぐには撃たなかった。女がまだ、どうみても12,3歳くらいにしか見えなかったからだ。少女はおびえている。自爆を止めさせられるかもしれない。「やめるんだ!」と少女に声を掛ける。佐伯の脇腹を激痛が襲う。少女は自分に銃を向ける佐伯に気付き、どうしていいかわからない、といった風情で「シュート、ミー、プリーズ(お願い、私を撃って終わらせて)」とささやく。佐伯に近づきながらささやき続ける。佐伯はイチかバチか威嚇発砲することに決める。銃声で少女が動きを止めてくれればいい。そのまま、応援部隊がくるまでじっとしておいてくれればいい。「止まってくれ!」少女の足元に1発撃ちこむ。少女が驚いて自爆スイッチから手をはなし、両手で耳をふさいでしゃがみ込む。そして声をあげて泣き出す。佐伯の威嚇発砲は効いた。いいぞ、そのまま、そのままだ。そこにしゃがんでおくんだ。佐伯の拳銃は、実はカラになっている。S&W・M10は本来6連発なのだが、管理上の都合で一度に5発しか支給されないし、5発以上装填してもいけないことになっていた。泣きながらしゃがむ少女にカラの拳銃を向け続けるのは無意味でもあったし、脇腹の痛みが銃を構えることを許さなかった。佐伯はM10を静かに倒れこんだ自分の胸の上に乗せた。その時、死んだはずのゲリコマ達や少女から、朝鮮語の無線が聞こえてきた。何かを怒鳴っている。佐伯は感づいた。沖合に、彼らの見張り船があるのだ。「うまくいかないのなら自爆しろ」、とそう告げているのだと朝鮮語が分からない佐伯にも分かった気がした。死んだゲリコマ達は動かないが少女が立ち上がった。ポケットから何かを取り出しているようだ。紙のカード、いや、写真?きっと両親の写真だ。それにむかってぶつぶつと何事かを言っている。まずい兆候だ。体は動かない、撃って止めようにも残弾はない。せめて、せめて6連発だったなら!家族への別れを告げた少女は、少女とは思えない野太い声で「マンセー!マンセー!マンセー!!」と3度叫ぶと自爆した。佐伯に熱風が襲いかかる。衝撃は佐伯が地面に倒れていたため逃れられたようだが、それでも肺に大やけどを負い、全身に打撲を負った。佐伯が回復するまで丸3か月かかった。久しぶりに職場に戻ると、さっそく査問委員会が待っていた。佐伯はなぜゲリコマに発砲したのか?手順通り威嚇発砲しなかったのはなぜか?と問われた。仲間が撃たれ、その余裕がなかったからです。と答えると少女の時は威嚇発砲したではないか。爆弾ベストを着こんだ少女に対峙した時の方がよほど危険だったはず、とたたみかけられた。また、別の査問委員は、なぜ少女を優先的に撃たなかったのか?と問うてきた。それには佐伯は答えられなかった。LE車両に搭載されてるドライブレコーダーの映像を何度も繰り返し見せられ、同じ質問を浴びせられ、どんな弁解をしても通らなかった。せめて、交通事故で亡くなったことにされている同僚の家族に真実を伝えようと尋ねたが、1人生き残った佐伯に遺族は冷たかった。決定的な出来事はユーチューブによりもたらされた。暗がりの船上から「たまたま」「日本の漁船が」撮影したことになっている映像。佐伯が4名の男を射殺し、少女に拳銃を向けている映像だ。ゲリコマのAKは画像処理で消され、少女の爆弾ベストも消されていた。一目見ただけでは、無抵抗の脱北者に一方的に日本人LEが発砲しているように見える。動画のキャプションにもそのように書かれていた。「哀れ脱北男性4名、女児1名、日本警察により無抵抗のまま射殺される」と。テレビのワイドショーでは、この映像の真偽が連日報じられる騒ぎとなった。佐伯は、職場で相談室に呼び出され、しばらく休暇を取って東南アジアに潜伏しなさい。と言われた。40日の有給を使い切っても、良いといわれるまで帰ってこなくてよい。ということだった。佐伯はLE職を依願退職した。佐伯は思う。あの時持っていた拳銃が17連発のグロック17だったら、ベレッタ92Fsだったら、SIG226だったら、とにかく十分に弾数のある拳銃だったら、少女の自爆を止め、ひょっとしたら少女を救うことすらできたかもしれない。武器は、どうせ持つなら武器というものは強力な方がいい。弾数が多く、ファイアパワーが高い方がいい。日本での退職が「依願退職」だったため、退職金は出た。数百万程度だったが、タイではその価値は10倍になる。中古の拳銃を買い集め、LE時代に身に着けた射撃術を教える射撃スクールから始めた。生徒となったのは大半がバンコク警察の警官たちだった。10年も教え続けると、生徒がどんどん出世していき、偉くなった元生徒が新人の警官に佐伯の元で修業するように、と下達するようになり、現在のサバーイ・ガンショップに至る。佐伯は、「これから何かをしでかしに行くであろうイチローたちに、最高の武器を持たせてやりたかった」のだ。今の佐伯に日本国籍はない。見送ることしかできない。すべての思いを銃器に託した。

皆が大型銃器を選ぶ中、イチローはダットとレイザー、ライトを着けたR226を2丁と20連マガジンを15本づつタフプロの大型マグポーチにいれ、計30本身に着けた。ぴたりと合うホルスターまで揃えてあることにイチローは感心した。スタームルガーとXD9はお役目ごめんとした。菊ナイフはそのままに、S&WのJフレームセンチニアルをズボンの右ポケットに、Mk2手りゅう弾5個をバンダリアに突っ込んで肩から下げた。
クルンテープ小学校につくと大型ヘリが2機ローターを回して待っていた。SH60である。
ドアガンナーと地上銃撃隊員、機付長、コ・パイ、それにパイロットといると、乗れる人数は結構少ない。分乗できるよう差配したのは誰だろう?とイチローが思っていると「おやっとさぁです!」と喜多長がにこやかに登場した。「MIZさん、御社のヘリとパイロットを危険にさらすわけにはいきませんのでこちらで計画変更させていただき、PMCブラックウォーターを利用させていただきました。御社のヘリを飛ばした場合の20倍程度費用がかかりましたが、よろしかったですか?事後報告ですみません」。MIZがあっけにとられながらも答える「ああ、いいとも。もちろんだ。」

喜多長が快活な声で伝える。「イチローさん、後の政府対応はお任せください。丸波さん、ぜひお嬢様を無事に連れ帰ってください。では、このヘリが飛び立ったらもう後戻りはできませんがよろしいですか?」。全員がうなずく。

ヘリは轟音をたててジュンの待つラン島に向かって飛び立っていった。

ーーーーーーー

SH60ヘリは轟音を立てて南下する。
ヘリの中で、日本人軍団の無線会議が始まる。ブラックウォーター隊員は、白人ではなく中南米系のようで、浅黒く引き締まった小柄な体格のものが多い。機付長と地上銃撃隊員がイチローたちの無線会議を興味深げに聞いているが、日本語はわからない様子だ。後で英語に直して作戦意図を伝えなければならない。このヘリのブラックウォーター隊員は装備品の扱いからして相当の手練れだとイチローは思っている。恐らく米国に不法移民としてやってきたが、身分が定まらないので安定した職につけず、一縷の望みをかけてイラク・アフガン戦争に従軍し、グリーンカードを手に入れようと陸軍なり海兵隊なりに志願したのであろう。しかし、戦争が終わってしまい、身の置き所をなくした彼らはPMC(民間軍事会社)に転職してコンニチを迎えているのではないか?自らの戦闘能力だけを売りに世間を渡り歩く現代のマーセナリーにイチローは軽い親近感を覚えた。

無線会議では、終始イチローが仕切った。こういう場合、皆に自由に話させ、最後に良いと思われる意見を集約していくのがイチローの流儀だったが今回は違った。「ジュンと少年はワッシに任せてほしい。単独行動で見つける」「え?」と全員が驚く。「木村と鳩山の居場所は分かっている」とイチローが告げるとさらに、全員が驚く。「どうやって分かった?」「簡単なことだったよ。グエンのアイフォンのメモ欄に、意味の分からない英語と数字の文字列があった。たいして重要なことではないと思っていたが、30列あった文字列の内に一つ不思議な英文を見つけた。「KimJhonunDonjiMansei1985」という一文だ。大文字と小文字、数字の混じったこの文字列はアップル・アイフォンのアイクラウド・パスワードだとワッシは思った。最初、グエンはアイクラウドにパスコードを掛けていなかったし、「チュラローク将軍万歳」というパスワードを掛ける人間が今更「キムジョンウン同志万歳」はおかしな話だ。つまりこれは誰か別の人間のパスワードだ。それも北朝鮮人。誘拐犯が送りあっていた被害女性画像の送り主はどれもGメールを使っていたが、ジュンと少年の画像を送ってきたのだけはアイクラウドだった。送り主は「Sontek-Kim1985@icloud.com」。
ジュンと少年をさらっていった教員の名前は鳩山と木村。キムラは、実はキムの通名(在日韓国および北朝鮮人が日本において言われなき差別を回避するために便宜上つける仮の日本名)なんじゃないか?このキム・ソンテクというのは、木村先生の本名なんじゃないか?グエンは、キム・ソンテク=木村先生のアイクラウドのパスワードを聞き出して、ひかえていた。さて、アイクラウドのメールアドレスとパスワードが両方分かり、キムもグエンもアイフォン・ユーザーだ。このことは、グエンがキムの行動を監視できることを意味する。なぜかわかるかい?丸波!」「え?僕はガラホユーザーなのでわからないよ」と丸波。「さて、誰かわかるものはいるかな?」とまるで教師になったような口調でイチローが全員に訊く。

一同、しばらく黙りこむ。「あのー、」ともう一機のヘリに乗っている長崎のケン、ナガケンが口を開く。無線で淡々と続きを伝える「ファインド・アイフォンのサービスですか?」。

「その通り!!」とイチロー。「ファインド・アイフォン」日本版アイフォンでは「アイフォンを探す」と名付けられたその機能は、そもそも紛失や盗難に遭った自分のアイフォンを、知人や家族の他のアイフォンを使って探すことができるサービスだ。しかし、応用の仕方によっては親が自分の子供の現在地を割り出したり、疑り深いカップルが、互いの居場所を確認しあったりするのに利用される場合がある。

このアプリを起動するとアイフォンの画面に地図が現れ、自分のアイフォンの位置を青い丸印が示し、探したい相手のアイフォンが同一地図上にかなりの精度でアイコンとなって表示される。GPS装着であるとかの大げさなことは必要ない。単にアイクラウドのメールアカウントとパスワードが分かれば誰でもこの「ファインド・アイフォン」が利用できる。

イチローは同じヘリに乗っている丸波、MIZにファインド・アイフォンを表示したグエンのアイフォン画面を見せる。現在飛行中のバンコク沖海上に青い丸が。パタヤ市海岸とラン島の間にアイフォンをかたどった四角いアイコンが表示されている。「このアイコンの位置がキムの位置。つまりジュンと少年の現在地だ」とイチローが語り、さらに続ける「覚えているかい?ジュンと少年の画像メールだけは、まだReがついていない。つまりまだビーチについていないんだよ。このアイコンも、まだラン島にたどり着いていない。急げばキムがラン島の仲間と合流する前に押さえられる。パイロットにこのアイコン目指して飛ぶように伝えてくれ。ワッシはジュンと少年を確保する。丸波、MIZ、田村、ノザケン、ナガケンはラン島から出てくるであろう追っ手を、ヘリのガンナーと協力して機関銃で制圧してくれ」。MIZが機付長にグエンのアイフォンを渡しながら英語でその趣旨を説明する。機付長はうなづいてパイロットにアイフォンを渡す。イチロー、MIZ、ナガケンが各々自分のアイフォンにキムのメールアドレスとパスワードを登録してファインド・アイフォンを立ち上げる。丸波はガラホ、田村とノザケンはアンドロイド・ユーザーだったためファインド機能は使えなかったが、各自グーグルマップを立ち上げ、およそのキムの位置を見せてもらい、覚える。イチローはファストロープの準備を始めた。

木村一成こと、キム・ソンテク(金・成沢)は洋上を走るボートの座席で眠らされているジュンを美しいと思い、愛おしいと思っていた。バンコク日本人学校で、キムは小学5年生担任を勤めながら、同時にパク・リーの祖国強化計画に参加する多忙な日々を送っていた。キムは、日本人学校で浮いた存在だった。祖国強化計画に参加するため、午後5時15分の定時には必ず退勤する。教師の仕事は児童が帰った5時を過ぎてからが最も忙しい。その日の提出物の評価や、採点、翌日の授業準備、児童生徒の問題行動についてほかの先生とのミーティングや、欠席児童宅への家庭訪問や電話連絡、などなど。特に翌日授業の仕込みは重要な仕事だった。教職員の残業手当は一律、時間に関係なく一か月8500円と決まっていたが、誰も不平は言わなかった。そもそも、カネのために教師になる教師が、激務覚悟の海外勤務など志望するはずがなかった。そんな中。まるで「教師といえども労働者ですから、労働時間は守らせていただきます」と日凶組のような態度で退勤していくキムは、浮いてしまっても仕方なかった。キムはしかし、決して手抜きしていたわけでない。労働時間の短さは、隙間時間を上手にやりくりしてカバーし、問題の起きそうな児童については、問題が起きる前に心のケアをして、大問題になる前に事態を収拾していた。授業もうまく、児童からは大変尊敬されていた。そのことは、しかしかえって同僚の嫉妬をかった。「あいつは定時に帰るくせに妙に子どもになつかれている。子どもに媚びているんだろう」と聞こえるように陰口をたたく同僚もいた。

昼は教員、夜は祖国のための活動家という二重生活はキムをどんどん疲弊させていった。

初等部(小学校)でのキムの同僚評価は不当に低いものだった。4月、異動の季節。初等部にも中等部にも新しい先生がやってきた。気の合わない初等部の先生よりも、キムは中等部の先生たちとよくしゃべった。中でも松浪先生とジュン先生は、キムが定時で退勤することなど気にも留めず、純粋にキムの教員としてのスキル、短時間で必要なことをテキパキとこなし、児童の心に寄り添うことができる能力を高く評価してくれた。人は自分の価値を認めてくれる人のことを、敬愛するようにできている。キムもその通りで、松浪先生、ジュン先生を敬愛した。特にジュン先生には淡い恋心を抱いていた。

この2人になら、とキムは自分が北朝鮮人であることを明かそうかと考えるくらい信頼していた。その松浪先生を体育館で失った衝撃は大きかった。グエンは中学生を暴行しようとし、その上松浪先生を撃つという蛮行を行ったスワングループのチンピラをリンチにかけたが、最もそのチンピラに殺意を抱いていたのはキムだった。

洋上のボートでキムは思う。今度の祖国強化計画で、よき理解者だった松浪先生を失い、ジュン先生まで失うことになるのだろうか?俺の人生はなんなのだ?なんのために俺は生きているのか?

キム・ソンテクは福岡県に生まれた。在日朝鮮人3世として。1985年のことだった。両親の仕事はパチンコ店員だった。祖国への送金を担当していた父と、フロア担当の母がであったのは1980年のこと。なかなか子宝に恵まれなかったキム家にとって待望の長男として生まれた。当時の日本はバブル景気の真っただ中。金回りの良かったキム家で、何一つ不自由なく幼児期を送った。キムの父親、キム・ウソンは日本人からも、在日同胞からも人望のある誠実な人間だった。ウソンは、息子ソンテクに「今、日本と朝鮮人民共和国の仲は冷え切っている。しかし、いつか分かり合える時が来る。このまま敵対していくのか、友好関係を結ぶのかの選択は、ソンテク、お前たち若い世代に託されている。ソンテク、お前の名前は偉大なる張成沢(チャン・ソンテク)同志からいただいたものだが、ソンテクには「選択」という意味もある。お前は将来、立派な大人になって祖国と日本のために正しい選択ができるようになってほしいんだ」とことあるごとに熱く語って聞かせた。ソンテクは外で友達と遊ぶときには日本語を使い、木村一成と名乗り、家の中や朝鮮総連の仲間とはキム・ソンテクとして過ごすことに不自然さは感じなかった。ただ、母国語であるはずの北部朝鮮語の学習が苦手なのが唯一の悩みであった。初めての挫折は中学生の頃。朝鮮学校ではなく、日本の公立学校に進んだソンテクは、一成という通名からつけられたカズちゃん、というあだ名でとおっていた。「カズちゃん」は、クラスメイトの百合子に恋をした。百合子も、また、快活な性格のカズちゃん(ソンテク)を憎からず思っていた。初めてのデートで、ソンテクにしては大奮発の580円するパフェを喫茶店で百合子にごちそうし、おいしそうに食べるかわいらしい口元に見とれ、満足した。問題がおこったのは、日凶組の深谷先生が社会科の時間に本来の授業内容を無視して突如始めた「人権教育・立場表明の時間」だった。深谷先生は、部落差別、在日朝鮮人差別が福岡県には根強く残っていることを力説し、それらは大変卑劣なことであり、根絶しなければならない。と演説をぶった。そこまではよかった。しかしその先がソンテクを奈落の底に突き落とした。深谷先生は言う。「みなさん、自分と関係のない話ではないのですよ、身近な問題なんです。このクラスにも、在日朝鮮人で差別と闘っている勇敢なお友達がいます。木村君です!木村君、君は自分の出自にもっと誇りを持って!隠す必要はないのですよ、クラスのみんなが味方です!」とぶちまけた。百合子が目を丸くしていた。その日の夜、木村家(ソンテクの家)に百合子の父親から電話が入り、「今後一切娘に近づくな!早く祖国に帰れ!」と一方的に怒鳴られた。学校でも、親しかった友人が次々に離れていった。ソンテクは、どうしていいかわからず、荒んでいった。ある日、深谷先生が「どうだい?自分の立場を堂々と名乗れて誇らしいだろう?」と恩着せがましく語りかけてきた。ソンテクはその顔を2発、3発と力任せに殴る。「なんで、なんで俺の邪魔をするんだ!俺は日本人の『カズちゃん』だ、それでよかったんだ!」。この暴行事件で、ソンテクは学校中の有名人となってしまった。「在日って、怖いよね」そんな話の輪の中に百合子が混じっていたのを、悔しい気持ちでいっぱいになりながら見ていた。いつかは、ソンテクも自分の労働党バッジとともにハングルで書かれた本名を百合子に見せる時がくる、と思っていた。しかし、それは今ではなかったし、公衆の面前で、ではなかった。百合子自身は、それまでと変わらず接してくれようとしたが、ソンテクの方で拒んでしまった。

ソンテクは思った。在日朝鮮人と日本人の関係を、このデリケートすぎる関係を正しく伝えられる教師になろう、と。

ソンテクは、単身福岡を離れ、朝鮮人差別の少ない鹿児島県を選んで進学した。鹿児島県の私学、神村学園では本当に気楽に過ごせた。友人がたくさんできた。ソンテクは、中学で一度ひねくれた性格を、もとの明るい「カズちゃん」に戻すことができた。

鹿児島県の教員採用試験は頭脳明晰なソンテクには簡単だった。面接で何を聞かれるかとドキドキしたが、「僻地勤務に耐える根性はありますか?」とか「西郷と大久保をどう評価しますか?」などの実にたわいもない、出題意図不明なものがだされ、テキパキと答えていくと自然に合格通知が神村学園の寮に届いた。
薩摩半島山川町に初任配属され、熱心に働いた。あまりに仕事がおもしろく、朝鮮総連の陰気くさい集会にでるのが億劫になっていたほどだ。労働党バッジを捨て、このまま日本に帰化しようか?と考えるようになっていた。日本と北朝鮮をつなげる橋渡し役は、別に在日という立場でなくともできる。韓国人俳優で、その出自を隠しながらも日本で大スターにのし上がった松田優作にあこがれ、その映画を何本も、何回も観た。北朝鮮による日本人拉致のニュースが飛び込んできたときには、信じられない気持ちだったが、どこか自分とはもう関係のない世界の話のような気がしていた。申請こそしていなかったが、気持ちはもう帰化した日本人のつもりでいた。

充実した暮らしを送るソンテクの元に、ある日年老いた母親が前触れなく訪ねてきた。父親が死んだという。「いつ?どうして?どこで?」と尋ねても母親は答えてくれない。ただ、「ソンテク、お前はお父さんの仕事を引き継ぎなさい。来年度から、タイのバンコク日本人学校に転勤になります。そういうダンドリになっています。そこでパク・リー大佐のもとで祖国強化計画に従事するんです。成功すれば、祖国の餓えた同志百万人を救うことができるのです」とだけ告げて福岡に帰って行った。

ソンテクは意味が分からなかった。母親に詳しい説明を求めても答えてはくれなかった。やがて3月がやってきた。本来ならば何度も何度も厳しい研修を受け、やっとの思いで行けるはずの海外勤務に、ソンテクは一度の研修もないまま送り出された。ジュンがバンコクに来る1年前のことである。

日本人学校で緊張しながら初出勤、初授業を終え、バンコク市内に借りたアパートに帰ると見たことのない中年男性が上がりこんで座っていた。厳しい顔つきで、「木村先生、いやキム・ソンテク。私はパク・リー大佐につかえるマルパッソだ。まず、これの使い方を覚えてもらおう」と言って自動拳銃2丁と弾倉4本、弾2000発をテーブルの上に置いた。自動拳銃の先には細長い筒がついており、これはサイレンサーという発射音を消す装置だと、松田優作の映画から得た知識で推察した。「それから・・・」と、マルパッソは続ける。「この本を読んでセメントの基礎知識をつけるんだ。この先必要になる」

その日から、アパートで拳銃の分解結合とカラ撃ちの練習。週末は閉鎖されたドーンムアン空港跡地でサイレンサー付きCZ75ピストルの射撃練習に励む日々が始まった。マルパッソによると、このCZ75は偉大なる祖国製拳銃、「ペクト山1号拳銃」と仕組みも口径も同じなのだそうだ。射撃がさまになってくると、次は尾行の仕方を教え込まれた。さらにそれらと並んでタイ国内のセメント工場をあちこち連れまわされ、工場長と出荷責任者の家を覚えさせられた。

パク・リーは、ラン島の教会にいた。外観はキリスト教会を偽装しているが、その実人身売買の拠点であり、スワングループの一大拠点であった。パクはこの汚らわしいタイ人マフィアどもを嫌悪していたが、今は祖国強化計画の途上にある。自制して付き合っていかなければならないことはよくわかっていた。パクはキム・イルソン時代を懐かしく思い出す。あの時代、パクはまだ幼かったが、国は豊かで食べ物はまだ豊富にあり、若者には夢と希望があった。しかし、今はどうだ。キム・ジョンウン時代になり、あのチョッパリ(日本人の蔑称)を母に持つ、黒電話頭のボンクラが、国中のすべてを狂わせてしまっている。それでも忠誠を誓うのが忠臣というものだろうが、今回の祖国強化計画で得られる利益は黒電話頭(ジョンウン)の私物にはせず、餓えた百万の国民のためにつかおう、と心に決めている。それが反逆だというのなら、甘んじて銃殺刑にのぞもう。

パクは、これまで不本意にも殺害せざるを得なかった部下たちの顔を思い出していた。直近では2016年10月、パクは34名の部下をこのパタヤ・ラン島で殺している。トンランビーチに作ってあった地下室、武器や麻薬の保管、時には誘拐してきた女を監禁しておくための狭い地下の一室に34名の部下を「重要な極秘伝達事項があるから」と集め、出入り口にセメントを大量に流し込んで窒息死させたのだ。実際に手を下したのはマルパッソだが、命じたのはパク・リー自身である。

パクは、タイの象徴、プーミポン国王の暗殺指令を受けていた。

タイ王室は、日本の皇室や英国王室と違い、税金で生活しているわけではない。アラブの石油王たちと同様、自前の収入減を持っている。セメント業である。国内に流通するセメントの8割はタイ王室、プーミポン国王家のものである。残り2割は、どうしてもタイでは技術的に製造不可能な特殊セメントを日本企業が、ヤワラー地区を中心に活動する華僑を中心に中国企業が激安セメントを、価格と品質のバランスに優れたドンサン・ブランドのセメントを南朝鮮(韓国)企業が製造しシェアを分け合っていた。「8割」とはものすごい寡占率である。経済成長を続けるタイ国内のセメント利益だけで210兆ウォン(21兆円)、マレーシア、シンガポールなどに輸出される分を合わせると380兆ウォン(38兆円)の利益があった。北朝鮮の稼ぎ頭である日本のパチンコ産業の年間利益が200兆ウォン(20兆円)であり、それに匹敵、いやそれを超える利益がある。パク・リーのグループは、国王のセメント会社をすべて乗っ取ろうとした。それが祖国強化計画である。手始めにイランに売却した核兵器の利益をまわしてドンサン・セメントを買収し、表向き南朝鮮の会社を装ってセメント事業に参入した。次いで、タイの主要な政治家、左翼団体、警察に十分な賄賂を贈り、「国王家によるセメント寡占は、事実上の独占であり、独占禁止法違反である。財閥解体の対象になりうる」という野党の論調を醸成した。ちょうど日本のパチンコ産業が政治家、警察の生活安全課に大量の賄賂を贈り、違法賭博であるパチンコを認めさせているのと同じ要領で進めていった。プーミポン国王家のセメントが、寡占状態に胡坐をかいて不当に高かったのも事実である。従来の2/3の価格で高品質なドンサン・セメントを流通させればシェアは一気に増えるであろう。低価格で高品質なセメントを大量生産するため、これまでプーミポン家のためにセメントを製造していた工場を、ありとあらゆる手段を使ってドンサン・セメントに引き入れた。賄賂でねがえる工場もあれば、工場長と出荷責任者の家族を人質に脅迫する必要がある工場もあった。パクのグループは死にもの狂いで潜在シェア4割までこぎつけた。「潜在」というのは、現在のプーミポン国王が存命の内はプーミポン印のセメントを作るが、亡くなった後はドンサン・セメントに納品するという確約を得ている、ようするに将来の見込みシェアのことである。順調にことは進み、本国の黒電話頭(キム・ジョンウン)から、さらに励んで潜在シェアを7割まで上げるように、と、お達しがきた。しかし、タイ国民の間でプーミポン国王は厚く厚く信頼され、愛されていた。一度はドンサンにねがえった工場も、テレビでソンクラーン祭のあいさつを国王が行っている姿がながれた翌日には「やはりタイ王室を裏切れない」といってくる事例が増えた。そのため、工場長達の家族を殺さなければならない事態が増えたりもした。黒電話頭(ジョンウン)は、国王に忠誠心を持つタイ人が多いという報告に怒り、「ではプーミポン国王を殺せ」と言ってきた。暗殺の準備は難航した。国王暗殺は、日本に置き換えれば畏れ多くも陛下暗殺に等しい暴挙である。準備したヒットマンは109名。日本人、南朝鮮人、中国人などに偽装させて入国させ、3つのグループに分け、国王を射殺、爆殺、薬殺(VXガス使用)しようとしたが、ことごとく失敗した。射殺を試みた52名のグループは王宮で銃撃戦の末、全員捕縛され、隠密裏に銃殺された。爆殺班の23名は、自爆の波状攻撃で国王を爆殺するはずが、警備を強化していた王室警察に追い詰められてめいめいの持っている爆発物で無駄に自爆している。このさなか、タイ王宮から逃げ出した班員が3名おり、しかし王室警察に追い詰められ、バンコク市内で自爆した。タイ警察は、『国王擁護、外国人排斥デモ』が起こることを恐れ、これも隠密裏に処理し、隠しきれなかった3件の自爆はイスラム過激派による無差別自爆攻撃であると公式に発表している。現在のタイ軍事政権はタクシン前政権をクーデターで追い出し、国王にとりなしてもらって何とか成立している危ういもので、大規模デモはクーデター返しや、まだまだ国民の中に残っている親タクシン派の行動を活発化させかねない。政府はすべてを隠さざるを得なかった。薬殺班の34名が、スタンバイ状態に入った10月半ば。プーミポン国王は、バンコク市内のシリラート病院に緊急搬送され、自然死をとげた。薬殺班34名は、図らずも作戦に打って出ることなく目的を達してしまった。34名は、英雄として国に帰れるはずだと喜び合った。しかし、黒電話頭(ジョンウン)は、ヒットマンが殺したわけではない、とし、一切手柄を認めなかった。ばかりか、「この作戦はなかったことにしよう。生き残りのヒットマンは生き残る必要はない。情報が漏れる前に埋めてしまえ」と言ってきた。それを「忠実に」実行したのがマルパッソであり、パク・リーであった。

パクは考える。仕える相手に恵まれなかった、と。

その時、パクの携帯に着信があった。キム・ソンテクからであった。水谷コーポレーションの子息と、おまけの女を1人連れてラン島につきました、と。

パクの頭痛の種が増えた。在日で日本語が流暢なソンテクを、確かに日系セメント会社社長を脅すか殺すために呼び寄せた。マルパッソはその一環としてソンテクに水谷コーポレーション・セメント部門にセメントを納入している工場を覚えさえ、武器の使い方や尾行の仕方を教えた。つまり工場を脅して言いなりにする方法は伝授してあるはずだし、水谷コーポレーション社長そのものの暗殺方法も教え込んであると言っていた。それを信じて水谷社長を消すように命じた。水谷社長が日系セメント企業の顔役として、プーミポン国王亡き後のセメント業界シェアを伸ばしてきて邪魔になったためだ。念のため、スワングループのグエンとかいう大物気取りの小物をつけてやった。ところがこのグエンが社長を直接殺さず、その子どもを人質にとれば身代金の小金を稼げる、と全く余計なことを考え付いてしまった。グエンは勝手に仲間を増やし、ソンテクの勤める日本人学校に水谷社長の息子がいる、というだけの理由で簡単に済むはずだった殺人を、全世界が注目する学校占拠事件にしてしまった。

その上、パクにとっては厄介でしかない水谷の息子を連れてノコノコと本部まで来るという。タイ警察か軍隊の尾行がついている可能性が高い。厄介でしかない最大の理由は、パクのノートPCに記録されている水谷家の分析資料にのっている息子の顔と、ソンテクがグエンに送った確認画像の少年の顔が別人だからである。こんな間抜けな話はない、さんざん事態を悪化させた上に人違いで人質をとってきている。

潜在シェアはプーミポン国王が亡くなったことで5割に上がった。これからが政治的折衝を始め、さまざまなことに手をうたなければならないのに、なんという愚かさだ。パクは、このラン島のタヤイ・ビーチに上陸するというキム・ソンテクを、上陸と同時に射殺したい欲求が頭をもたげてきた。

鳩山は、もともと教師という職業が好きだったわけではない。父親の仕事を継いだだけだ。人前でエラそうにふるまえるという教師の仕事のおもしろみに酔っているだけ、という見方もできる。母方が大富豪である鳩山家はそもそも裕福であり、仕事はせずとも母親から毎月1500万円のお小遣いをもらえる身分である。祖国強化計画に協力しているが、特に北朝鮮関係の出自でもない。ただ、大金を持って朝鮮総連に行けば、日本人アイドルやKポップアイドルを偽装して日本で活動している北朝鮮系アイドル歌手やアイドル女優と好きなだけつきあうことができた。日ごろから「宇宙人」と呼ばれているほど何を考えているのか分からない男だったが、やがて奇行はエスカレートし、朝鮮総連であてがわれた女性を、性行為の最中に殺害すると快楽が数十倍に膨れ上がることに気付いてしまう。彼の変態性は増し、人の死を見れば性的に興奮するようになっていた。タイは、ある意味彼にとってパラダイスだった。祖国強化計画の賄賂用の小金を工面することが、鳩山がバンコクに呼ばれた理由であるが、タイは面白かった。死体を報道にのせることにタブーのないタイでは、アチャーガム新聞やポートクテン(報徳堂)通信のように、その日の交通事故死体や殺人被害者の死体、自殺死体の刺激的なカラー写真入り新聞が気軽にキオスクで買えた。TYN.comやogrish.comのような死体をメインに扱ったウェブサイトのホストサーバーが置かれているのもバンコクであったし、鳩山はそれらサイトの熱心な会員であった。朝鮮総連の接待で行く会員制ナイトバーでは余興として、ミャンマーやラオスから二束三文で買ってきた老若男女を2人リングにあげ、それぞれに包丁を持たせ、片方が死ぬまで殺し合わせる出し物があった。鳩山は特に若い女性同士の殺し合いを好み、勝者として生き残った女性をリング上でそのまま犯し、終わると頭を拳銃で撃ちぬく遊びに興じていた。鳩山は狂っていた。

鳩山は、今度の逃走劇に大満足していた。自分自身の手で誘拐、逃走を図るなんて、まるで映画の主人公ではないか?それにうまくすればジュン先生が殺されるようすを見ることができる。ことによったら自分に殺らせてくれるかもしれない。よく見知った知り合いの死は、さぞや興奮できることだろう。

ボートがラン島のタヤイビーチに着いた。木村先生(ソンテク)が、薬で眠っているジュンと水谷少年(実は張晴君)をゆすって起こしている。鳩山は、まどろっこしく思い2人を拳銃のグリップで殴って起こそうとするが木村先生に止められてしまう。鳩山は、木村先生から殺すべきなのは?と思ってしまう。

ソンテク(木村先生)は、グエンがまだ生きていると思っている。ジュンと少年の寝顔をグエンのアイフォンに送信する。パク大佐に、ビーチに着いたことを連絡し、ジュンと少年を運んでもらわなければならない。ソンテクは、優しかったジュンがパク大佐にどんな風に利用されるのかわからないが、最終的には殺害されてるのは容易に想像がつき、胸が痛んだ。しかし、祖国の命令を従順に聴くようにマルパッソに調教されてしまったソンテクはあらがえない。パク大佐に、「水谷コーポレーション社長の子息と、おまけの女を連れてきました」と電話した。

ヘリで飛ぶ70キロは近いようで案外遠いように丸波は思った。ヘリに乗りなれているイチローやMIZは、あと数分でパタヤに着くと分かっており、落ち着いている。アイフォンを握るイチローの顔が曇る。「木村と鳩山がラン島に上陸した。作戦変更、洋上での確保は断念。ワッシはビーチにファストロープ降下する。木村の真上に降り、ジュンと少年を確保する。皆は島にあるであろう敵の拠点を制圧しろ」とイチローが淡々と告げる。「イチロー、どうやって拠点を見つけるんだ?ファインド・アイフォンで木村の位置はわかるが、一般島民や観光客と、誘拐グループの区別がつかない」と丸波が訊く。「島に着けばすぐわかる。ワッシを信じろ」と、これまた淡々とイチローが答える。
グエンのアイフォンを計器の脇に貼り付けて飛んでいるSH60ヘリのパイロットが、シグナルの上空に着いた、と知らせる。場所は、ラン島タヤイビーチ。

ヘリはしばらくビーチ周辺を旋回し、安全を確認していたが特に障害になるものはなかったため、イチローが降りやすいよう地上10mまで低くホバリングする。イチローは左右のホルスターのR226 SAOがコックアンドロックされていることを確認し、ファストロープの先端を砂浜に落とし、流れるような動きでするすると降下していく。

イチローは先ほどの上空旋回で見つけたボートに、木村(ソンテク)のアイコンが重なるのを確認し、ボートに走り寄る。音もなく走るイチローの姿は屋久鹿のようだ。

ヘリに残った丸波たちは、どこに行くべくか迷っていたが、イチローの言った通り戦うべき敵の居場所は簡単に分かった。パクがヘリの音を聞きつけ、迎撃準備を整えたのだ。島の小高い丘の上からRPG7の弾頭がいく筋かヘリめがけて走ってくる。複数の50口径らしい機関銃の音も聞こえてくる。

「丘の上の教会だ!直上につけるか?」と田村がパイロットに訊く。「ネガティブ!RPGは当たらないだろうが50口径が怖い。教会から50m離れたところにLZ候補地がある。そこに降りる。」

教会の東、50mのところに教会を囲む林が切れた空き地があった。そこに2機のSH60が降りたつ。MIZ、田村、ノザケン、ナガケン、丸波が着地したヘリからガチャガチャと弾薬帯の音を立てながら展開していく。敵の数が分からないため、正面火力を削ぎたくなく、教会を挟み撃ちすることなどは考えなかった。5名で教会目指して西進した。

イチローが、キム・ソンテク(木村先生)のボートに用心して近づくと、ボートからスグの砂浜に男が一人、胡坐をかいて座っていた。イチローが右ホルスターからR226SAOを抜き、瞬時にセフティオフにしてダットを男の頭に重ねる。トリガーにはまだ指をかけない。

ソンテクは、自分で自分の頭に拳銃を突きつけている。訓練で使ったCZ75ではない、「激励の御下賜」との意味で本国から送られてきた「ペクト山拳銃」である。CZ75とペクト山拳銃を並べてみると、同じ設計なのに(ペクト山拳銃はCZ75クローン)ペクト山拳銃の方が悲しいほど見劣りした。表面のフラット出し、バフのかけ具合、細かなパーツの精度、スライドとフレームの勘合具合、どれもが見劣りした。

イチローは、この男がジュンをさらったかと思うとすぐにでも顔面に6、7発撃ちこみたくなるが、訊きださないといけないこともあるし、様子が妙なので声を柔らかくして語りかける。

「日本語はわかるな?」とイチロー。
「わかるよ、当然だろう」とソンテク。
「ジュン・・・女教師と生徒はどこにいる?返答次第ではお前も、お前の組織も皆殺しにする」物騒なことをいっているが、イチローの声はやわらかなままだ。

「丘の上に教会がある。そこはスワングループの誘拐拠点だが、そこに2人とも連れて行かれた。あんたが何者か知らないが、救うつもりなら急いだ方がいい。パク・リー大佐は、女はいらない、少年は水谷社長を脅迫できるものではない、人違いの生徒だったといってカンカンに怒っている。」とソンテク。

「拠点が丘の上の教会だという証拠は?」とイチローが訊きかけたとき、ブシュン、ヒュー!、ブシュン!ブシュン、ヒュー!というRPG7を空めがけて発射する音が聞こえ、50口径らしい機関銃発射音が複数教会方向から聞こえ、ブラックウォーターのヘリ2機が旋回してこれをかわす様子が見て取れた。

イチローはじっとしていられない。
「教会のどこにいるんだ?」

「さあ、教会の中は拉致してきた女を閉じ込める小部屋でいっぱいだ。下町に続くトンネルまで掘ってある。そのどこにジュン先生がいるかはわからない・・・」とソンテク。

「なぜ、お前は自分を撃とうとしている?」とイチローが問うた。

「信じられないだろうが、俺はジュン先生を愛している。彼女が助からないなら、俺も死ぬ。いや、彼女をこんな目に遭わせたことを恥じて、彼女が助かっても死ぬつもりだ。ここにこうしていたのは、もっと強力な軍団がレスキューにきて、それを手助けできると思ったからだ。教会のことを話し、これまでのことを話したら頭を撃って死のうと思っていた。それが、レスキューはジイサン1人だと。無駄だ。あんたも死ぬよ。俺はもう自分がだれで、誰のために戦っているのか分からなくなっているんだ。キムジョンウン同志やパク・リー大佐、マルパッソ、ついでに俺の母親が喜ぶことをすれば、ジュン先生が悲しむ。悲しむどころか命が危ない。実際、たった2人の理解者の内の一人、松浪先生は殺されてしまった。俺ががんばるほど、ものごとは悪くなっていく。俺がよかれと思うほど、相手は傷ついている。もう、分からないんだ!!俺の大切にすべき国は朝鮮民主主義人民共和国なのか、日本なのか!!」

「ジュンを助けたいか?」とイチローが感情を殺した声でソンテクに訊く。

「もちろんだ、だが手遅れだ。第一、ここにジュン先生を連れてきたのは俺だし。今更・・・」とソンテク。

「ジュンを助けたいかとワッシは訊いているんだ!!」とガラでもなくイチローが怒鳴りつける。

「ああ、もちろん、それで自分のやったことが帳消しになるとはおもわないが、助けたい!助けたいさ!!」

イチローが怒鳴り続ける「では、頭に拳銃を突きつけて自殺ごっこに興じている時間はない。どの部屋にいるかはワッシが探す。教会まで案内しろ!できなければワッシがお前の頭を撃ちぬいてやる!」

「ハッ」とソンテクの表情が変わる。それまで行動目標を見失っていた人間が、急になすべきことを見つけた表情だ。

「拳銃は持たせてやる。だがマガジンは外しておくこと。必要になったら装填して「撃つべき相手を」撃て。これからかなり危険な道を行く。話しかける時はハンドシグナルを送れ。ワッシから近寄っていく。大声は出すな。いいな?じゃ、行け」

ジュンと張晴君はまだ眠っている。目立たない車、ということで選ばれた日産ティーダが、鳩山の運転で教会に向かう。日産ティーダの後ろにはトヨタのピックアップトラックがついてきている。このピックアップの荷台に5名のスワングループが乗っている。彼らがジュンと少年を運んだのだ。
パク・リー大佐が無用といっているのだから、犯して殺してしまおうか、と5名のうちのリーダー格が本部に問い合わせる。すると、本部がある教会方向から50口径の発砲音が聞こえてきた。無線の返事はマルパッソからで、「敵が人質奪還にヘリで乗り込んできた。その女と少年にはまだ利用価値がある。人質がいることを見せ、手出しできなくさせる。その上で殺す。それまでは傷つけるな。鳩山とかいうクレイジーからも離しておくんだ」というものだった。ティーダから、眠ったままのジュンと少年がピックアップの荷台に移された。鳩山は不満そうだった。

パク大佐は教会前の広場でいらだちのピークにあった。なぜヘリコプターが飛んでくる?あれは米軍用SH60 シーホークだ。この分では相当な兵員がやってくるに違いない。こちらも軍勢を集めたいが、バンコクその他にいる味方は警察にマークされてしまっているだろう。ピックアップトラックで人質を運んでいるくそったれのスワングループが各自所持している火器と、教会にいる武装した20名足らずの部下が持つAK47とUZI。それに本来は覚せい剤との交換で手に入れた「商品」であるはずのM2キャリバー50機関銃4門。RPG7を6筒と交換の弾頭が30本。使い物になるかどうかわからなかったが、MG42機関銃2門。それだけで当面しのがねばならない。
しかし、光明もあった。ラン島の下町、繁華街にいるスワングループは合わせて100名ほど。彼らに緊急連絡で増援を頼んである。頼りにならない連中だが、100名がライフルを持って集まれば何とかなるはずだ。武器はベトナム戦争時代に横流しさせ、モスボールさせているM16A1と5.56弾薬がふんだんにある。それに射撃目当ての観光客向けに地元射撃屋が取り揃えているショットガンやFAL、G3バトルライフル、その他が十分使えるだろう。

パクはヘリが東側の空き地に降りたと報告を受けた。またその耳でローター音を聞いた。
緊急対応として、教会の西側にMG42を2機、20m間隔を置いて据え付ける。射線がクロスする点を、ヘリの着陸したらしい林の切れ目から、教会に通じる小道の出口に設定する。わざわざ撃たれると分かって小道を通ってくることは考えられないが、ここを手薄にしておくと敵勢力に一気に駆け抜けられてしまう。譲れない線だ。

MG42 はたいそう古い機関銃だが、弾薬は入手の容易な7.62×51mmに改修してある。「米軍を苦しめた縁起物の銃器」としてキム・ジョンウン同志(黒電話頭)は、日本の14年式拳銃やドイツのパラべラムピストル、P38ピストルなどを好んで収集しているが、このMG42もそのコレクションの中の一つだ。7.62に改修するならMG3でいいではないか?と思うのだが、ボディはMG42がいいという。わからないこだわりだ。2門のMG42の守備の隙間はAKやUZI、RPG7を持った北朝鮮コマンドと、スワングループのチンピラが固めている。

もし本格的にヘリが射掛けてきたらどうすることもできないが、チョッパリ(日本人の蔑称)の女と少年を人質にすれば切り抜けられるかもしれない、と思った。

田村は、教会へ向かう小道脇で一度隊を止めた。先ほどの派手な50口径とRPG攻撃も一過性で終わったし、ひょっとしたら敵規模はそう多くないかもしれない、と考えていた。教会の規模、教会に通じる小道のワダチと足跡からして敵は30名程度ではないかと推察した。ブラックウォーター隊員のSH60ヘリに搭載しているサーマルヴィジョンで見ればよくわかっただろうが、今はSH60は給油とこちらからの「ミッション終了、撤収望む」の合図待ちでパタヤ市に戻って行っている。薄情な気もするし、空中支援があったらどれだけ楽だろうと思いはしたが、契約は契約だ。イチローは「ヘリのガンナーと協力して」といっていたが、それはソンテクが洋上にいた時の話である。契約では運ばれる日本人軍団とホステージ2名の「搬送」と「自衛のための応戦」をすることは明記されているが、全員をおろしてしまったあと、単独で日本人の戦闘に介入することは盛り込まれていない。そこまでの金は払われていないし、タイ警察がしぶしぶ飲んだ「特殊外交官免責特権」からもはずれてしまう。残念な話だ。また、田村はドローン偵察ができない点も残念に思っていた。

ナガケンは、別の視点で敵は30名程度だと推察している。ナガケンは目が良い、すでにこの林の向こうで防御陣を作っているようすがうかがえた。その時、不用心に立って作業したり歩き回ったりしていた人数が20名ほどだった。教会はシダと南国特有のタケに囲まれていたが、タケの揺れからして他に5,6名が潜んでいることを察知した。指揮官を合わせて合計30名ほどが敵の数ではないか?

ノザケンは、必死に林から教会付近の怪しい人工物や怪しい動きに目を光らせている。教会に続く小道の右10m、左10mの位置に重機関銃が設置されていることに気付いた。この分では敵まで30m、つまり今身を潜めている藪から20m進んだところで十字砲火を浴びてしまうだろう。

MIZは、敵の配置に過剰な興味はなく、目の前に現れたタイ人だか北朝鮮人だかにM249 の一掃射を食らわせ、なおかつ生け捕りにした分は自社製セメントの中に埋めることばかり考えていた。

丸波は、MG4の他に持ってきたMP5SD6が邪魔でしかたなかった。なぜかこのサウンドサプレッサー(サイレンサー)付きのSMGをかっこいいと思い、もってきてしまったのだ。

この場にいないイチローを除き、全員がスロートマイクと短距離無線を装備している。日本人軍団はしゃべればそれが全員に伝わるようになっている。

田村が「敵はおよそ30名、小銃、SMGで武装。恐らくAKとUZI」。続けてナガケンが「RPGもお忘れなく。教会東、つまり我々の方角に防御陣あり」と告げるとノザケンが「小道の左右各10m地点に機関銃陣地あり」と告げる。「我々が迂回できる可能性は?」とMIZが訊くと田村が「ダメだ。この林を左右に進んでいくと高さ50mの崖になっている。50mくらいなら行っていけないこともないが、今は急いでいるし、崖の途中で敵がトラップを張っていたら終わりだ」。

そこに、ノザケンが「このままじゃ進めない。制圧射撃を掛けてくれ。気を引いている間に俺が接敵してサイレントピストルで左翼機関銃を、丸波がMP5SD6で右翼機関銃を攻め落とす。俺たちが機関銃陣地をつぶした後は、開けた真ん中の道が使えるはずだ。そこを通って一気に敵に近づいてくれ。見張りになる敵はなるだけ片づけておくから」と言いだした。丸波は大役を任されぎょっとする。しかし、この程度の無茶ブリには、自衛隊に定年までつとめてきた身には平気でもあった。

田村が念のため、ノザケン、丸波の進行方向に向かってブービートラップがないか?あるなら爆破してしまおうというつもりで手りゅう弾を左右2個ずつ投げた。数秒後2個ずつの大きな爆発があるが、それにつられる誘爆はない。その代り、爆破地点めがけて4発のRPGが発射され、手りゅう弾をはるかに上回る爆発を起こす。「トラップワイヤーの心配はなさそうだ。頭を低く、地雷とRPGに注意していけ」と田村。ノザケン、丸波はそれぞれの目標物に向かって出発した。

手りゅう弾の爆発が呼び水になり、パク指揮下のMG42とAK、RPGが一斉に射撃を開始する。たった50mの林だ、連射を加えていればいつか全滅できるだろう。パクは手こずるようならフレームスロワーで生きたまま焼き殺してやるつもりだ。教会に備蓄してある弾薬が少ないので、部下に思うさま撃たせてやれないのが残念だった。

ノザケンは、M4A1小銃を背中側に背負い直し、H&K・ソーコムMk23とそのサウンドサプレッサー(サイレンサー)を取り出した。時代遅れの、図体ばかりでかい拳銃である。45口径は佐伯のバスになかったはずで、このソーコムピストルはノザケンの完全な自前である。確かに45ACP口径は、一般的な9ミリ口径より強い、パワーがある。しかし同じような図体でさらに強力な「デザートイーグル」のようなモデルもある。なぜ、ノザケンがソーコムピストルにこだわるかというと、それはその命中精度と消音性、耐久性にある。カッチリと作りこまれたスライド、バレル、ロッキングメカは45ACPという弾丸の限界に迫る命中精度を絞り出してくれる。その上さらにノザケンの誇る「クリーンヒッター理論」を応用してアキュライズド(さらに命中精度を上げる加工)を施してある。50mで山なり弾道の癖は大きいもののグルーピング自体は3センチというライフル顔負けの精度を保っていた。その上大型サプレッサーで発射音を、ルガー22オート・サイレンサーモデルで22LRを撃った時程度に落とせている。イチローのようなスピードシューターにはかったるい拳銃だが、ノザケンにとっては大切な相棒だった。

ブオオオオオオオオー!!!ブオオオオオオオオー!!っと、頭上をMG42の発射音が通過していく。ハリウッド映画『セイビング・プライベート・ライアン』のMG42発射シーンでは、弾丸1発1発の恐ろしさを強調するため、幾分レートを落としバババババババッ!!という発射音にしてあったが、実際のMG42の発射レートはそれよりもっとずっと速い。銃器というより電動ノコギリやチェーンソウのような一塊のブオオオオオオオオオー!!という音になる。
その音が聞こえるたびに頭上のタケ、雑木が砕け散っていく。間髪おかず、着弾点の地面からバシバシバシバシッ!!という石コロや、砂の層の下に埋まっている石灰岩を砕く音が聞こえてくる。
空き地方向からは、応射するMIZの分隊支援火器の音が聞こえてくる。RPGのものと思われる爆発音は何度聞いても恐ろしい。それらの射撃音の合間にAK47の発射音が聞こえてくる。時折入る「シュコ!」という音はナガケンのサウンドサプレッサー付きM4による銃撃だろうか。軽くてスローなパパパパン!という音は敵のUZIか。
よく聴くと田村は左右で隠密行動をとるノザケンと丸波から注意をそらすため、小道の中央で目立つようにMG4をバーストさせている。

クロールストロークの匍匐前進でノザケンが左翼のMG42から10mの地点まで近寄った。小さく喉元のマイクにささやく。「丸波、こちらノザケン。射界良好地点まで来た。そちらどうか?」

「まだだ、少してこづっている。」MG4を田村に託し、身軽になったとはいえMP5SD6を構えて林の下藪を超えるのは難しい。

それに丸波の方ばかりにMG42の弾着やAKの掃射が集まってきているようでならなかった。
それでも丸波は右翼のMG42から15m、MG42クルーを見下ろせる小丘の上にたどり着いた。
「いいぞ」と丸波。
「じゃ、行くぞ」とノザケン。

ノザケンは10mの位置から、MG42の射撃手と装填手、2人を守るAK47を構えた男が見えた。いずれも顔だちからして北朝鮮人だと分かる。ノザケンの今の位置から、さらに4名の兵士が見える。いずれもAKを撃っているかリロードしているが、これはタイ人だ。ほかの配置は不明だが打って出ることにする。
男たちは、Kポット(ケブラーヘルメット)ではなく、ブーニーハットを被っている。仲間にヘッドショットが有効であることを無線で伝えたかったが、見張りのAK男にノザケンは見つかってしまう。その男の顔面、両目を結んだ位置から鼻、上唇にかけて正確に6発撃ちこんで殺す。胸に2発、頭に1発というセオリーがあるが、あの方法はこれまでの経験上死ぬまでに時間がかかりすぎる。それより一刻も早く脳を破壊した方が確実だ。
見張りが撃たれたのに、MG42射手は気付かない。ノザケンはポポポッとMG42射手の左耳の穴に3発の45ACP弾を放り込んで地獄に突き落とす。装填手は、射撃が止んだことを不審に思い、射手の方を向いたところをあんぐり開けた口の中に3発撃ちこまれて小脳と脳髄を切断される。ノザケンは音もなくMG42を設置してあった銃座に入り込む。H&KソーコムMk23はチェンバーに一発残したまま弾倉を交換する。「このマシンガン、残弾少ないな~、それにMG42なのにNATO弾かよ、雰囲気でないな~」とぼやきながら、トライポッドを緩め、いつでも後ろの敵を撃てるようスタンバイする。

丸波は、人殺しなどしたくなかった。しかし、自分にはその能力があり、ジュンの命がかかっている。MG42をでたらめに撃ちまくっている射手の顔面にMP5SD6でシュコ、コ、コ、コ、コ、コ!とセミオートで正確に6,7発くらわせる。マガジン残弾を計算しながら、3発バーストモードに切り替え、射手となりの装填手がきょとんとしているその鼻の穴に3発×2の6発撃ちこむ。見張りのAK男があてずっぽうに乱射してきたが丸波のいるところとは見当はずれの方向に撃っている。「次で弾倉を変えよう」と思いつつ、セレクターをフルオートに回し、残弾をすべて男の首から頭に集弾させる。

「左MG制圧」「同じく右MG制圧」とノザケンと丸波がスロートマイクにささやく。

それを合図に林の真ん中の道をMIZのM249を先頭に、MG4の田村、M4A1のナガケンがスタック(戦闘中死角を最小限にして攻撃、防御しやすくするための陣形)を組んでかなりの速さで敵に近寄っていく。

「ジョームティー!!(撃て!!)、左右機関銃撃て!!」とパクが絶叫する。しかし、AKとUZIの散発音の他、先ほどまでブオオオオ!!とうなっていたMG42が発砲される気配がない。パクは、「なにをやってるんだ!」と左のMG42に向かっていった。が、そこにまっていたのはトライポッドの向きをまさに自分の方向に向けなおそうとしている丸波の姿だった。パクは、脱兎のごとく教会の中目指して逃げて行った。

左右翼から至近距離で味方のMG42による銃撃を受けたスワングループのチンピラと北朝鮮工作員は悲惨だった。発射サイクルが速いために、倒れる前に7,8発は食らってしまう。MG42のサイトは使いづらかったが5発に1発がトレーサーになっており、東京マルイの発光BBガンの要領で狙い撃ちができた。たちまち15人前後の死体の山が築かれるが、この中の数体は田村のMG4やMIZのミニミによるものだ。左右のMG42と田村達の通ってきた小道がTの字に交わった地点には特に多く死体が転がっていた。日本人軍団5名がT字路の中央で合流する。MIZが死体の筋肉が痙攣することで起こる「死者のダンス」の音に反応して頭が半分吹き飛んでいるその死体の、頭部もう半分を撃って首なしにしてしまう。

死体をカウントするとおよそ30体になった。「全員、殺ったか?生存者がいたら尋問だ」と田村。「2,3名教会に逃げて行った」とノザケン。「パク・リーも逃がした。」と丸波。「そうか、パクの逃げ先も含めて聞き出さなくちゃな」と田村。

幾重にも重なった死体の中で、バイタルゾーンを潰されたもの、頭が割れているものは小道の脇に捨てていく。目的としているのは気絶しているものや、死んだふりをしているものである。

MIZは、5体目の死体を手繰り寄せた。人間は死ぬと全身の力が抜けて実際の体重よりも重く感じる。「死んだふり」をしている敵なら自爆の恐れもある。いつでも脳幹を撃ちぬけるよう拳銃を準備をして、首の脈拍をみていく。MIZの調べたその死体は軽かった。ショートカットだが、他の男どもよりは髪が長い。どうやら女のようだ。MIZがものめずらしげに眺めていると「手を放しなさい!」と、やや険のある声で答えてきた。「私を助けてくれたらパクの居場所と、運ばれてくる女と少年の行き場所を教えてあげるわ」。と必死に自分の死を遠ざける。「辻本、この裏切り者!パク大佐の恩を忘れたか?」とまだ調べていない死体の中の北朝鮮人が拳銃の銃口を辻本と呼ばれた女に向けた。サッと動いたナガケンが、腰から抜いたS&W・M603ナイフで拳銃を持った手ごと手首を切り落とす。痛みで男が口を閉じる。「あなたは、しゃべって我々の役に立ちますか?それともここで死にますか?」とナガケンが特有の優しい声で手首を無くした男に聴く。「殺せ!」と男。ナガケンは優しい顔だちを若干曇らせながら男の希望にこたえ、S&Wナイフをその首に突き立て、抉り、息の根を止める。

「あたしは、そいつとは違う!あたしは生きたい!」その女は大声をだす。「あたしには利用価値があるわ。あたしはパク大佐の愛人なの。あたしを助けるためなら彼、きっと出てくるわ。出てきたところをあたしが殺す。いいアイデアでしょ?」「愛人って、チャイニーズな意味での愛人(=妻)か?それともジャパニーズな意味での愛人(=2号)か?」と田村が訊く。好奇心で聞いているわけではない。もし妻なら、なるほど辻本の言うとおり利用価値がある。在日朝鮮人で苗字が違うもの同士が夫婦を名乗るのはよくある話だ。しかし「2号じゃだめなんですか?2位じゃだめなんですか?」と女が開き直る。これは使えないな、と田村は判断し、M4A1のストックで殴り倒す。「おい、何か吐くかもしれないじゃないか?」とMIZ。「いいや、こいつは有益情報はながさないよ。俺たちに人質の位置を教えるといって教会のトラップルームに誘い込む、そんなところだろうよ」「田村、お前女心が分かるのか?」とMIZが茶化す。「お前よりはな」と田村。

パク・リー大佐は教会の入り口でヘリを警戒し、50口径M2ブラウニングをオペレートしている部下から北朝鮮コマンド2名を連れ出し、下町に続くトンネルに入った。このまま100名のスワングループが待つ下町で態勢を立て直すつもりだ。小走りに移動しながらカンカンに怒っている。何もかもに怒っていた。マルパッソに人質の日本女と少年がどうなっているのか聞こうと電話をかけるが、トンネル内は電波状態が悪く、つながらない。パクは意味もなく部下の一人を殴りつけた。

日本人軍団5名は、教会前の広場をわたるのがとても恐ろしかった。先ほどの銃撃音を聞いて敵が迎撃態勢にでているはずだ。50口径をまともに相手にしたら勝機はない。良い作戦をたてなければ、と思っていた。まずはサウンドサプレッサー付きのM4A1を構えた田村が偵察に入る。しかし、様子がおかしい。50口径もRPGの発射筒もそのまま教会の床に転がされている。罠か?と田村が教会1階をぐるりとまわると、祭壇の裏に大きく開かれた扉があることに気付く。無数の足跡が扉の向こうに長く伸びるトンネルに入っている。「こちら田村。全員に次ぐ、敵は祭壇裏のトンネルから逃げた模様。トンネルを通って敵を追う。以上」「了解」丸波たちがトンネルの入り口に集まってきた。「地下室や、各小部屋に敵が隠れている可能性は?ひょっとしたらジュンたちは小部屋にいるんじゃ?」と丸波が訊く。「そうかもしれないが、その可能性は低い。外の石灰質の砂が靴底についてできた足跡は、寄り道せずこのトンネルに向かっている。足跡自体、新しい。小部屋にいる可能性は否定できないが、小部屋捜索に人員を割けない。トンネルを捜索することを第一行動目標に設定する。不本意かもしれないが従ってくれ。」「了解」。5名はスタックを組んで薄暗いトンネルに入っていく。トンネル内は天然の岩肌がむき出しの壁面と天井10mおきにLEDランタンが設置され、最低限の明るさを提供している。緊張しながら歩を進めていく。

「待ってくれ!」という声を聴いたとき、パク大佐は幻聴かと思った。教会の入り口を固めているはずのスワングループの8名全員が、50口径を捨ててトンネルを走って逃げてくるのだ。「俺たちにどうしろっていうんだ。敵の日本人は最新の自動火器で武装していた。俺たちは自衛用のピストルしか持っていない。50口径を水平射撃位置に設定しなおす前に林での銃撃音が止んだ。味方が3人帰ってきたが、教会の反対のもっと深い森の中に逃げて行った。みんな殺されるぞ、って忠告をうけた。あんたら3人はこのトンネルに入っていったが、逃げるつもりなんだろう?俺たちも連れて行ってくれ」
パクの怒りが頂点に達した。「ピストルしか持っていない、だと?」と言いつつ、弾倉に15発、チェンバーに1発のフル装填にしてあるペクト山拳銃をゆっくりと抜く。「ピストル1丁あれば、8人の間抜けを射殺できるんだ!」叫びざまに全員の胸に2発ずつ撃ちこんでいく。6名まで大人しく撃たれていたが、7、8人目は逃げ出そうと走り出した。パクの腕は確かだ。逃げる背中から心臓に2発ずつ放ち、命中させている。
「これだからタイ人は信用ならん。この先に待つ100名のタイ人はもっと骨がある連中であってほしいものだ」。ホールドオープンしたペクト山拳銃のチェンバーに一発9ミリ弾を放り込み、スライドを前進させ、空になった弾倉を15発入った新しいものに挿しかえる。これでペクト山拳銃は16発フル装填状態に戻った。「先を急ぐぞ」。3人は走る速度をはやめた。

トンネルの先、遠くで拳銃らしい発射音が10発以上聞こえた。田村、丸波、ノザケン、ナガケン、MIZがサッとプローン(伏せ撃ち姿勢)態勢をとる。「なんだ?今の?」とMIZ。「分からない、だがこれで敵がトンネルに集中していることははっきりしたな」と田村。丸波は、「まさかジュンたちが処刑されたんじゃないよな」と不吉な想像をして顔を青ざめさせる。「とにかく進もう」全員立ち上がってトンネルの先を急いだ。

ジュンは、車が停まる時の振動で目を覚ました。自分が縛られていないことに驚く。体をまさぐって怪我や暴行の跡がないかを確かめるが大丈夫のようだ。「張晴君は?」張晴少年はすでに目を覚ましており、スワングループの男らにからかわれている。見たところ、けがもなく無事なようだ。「起きたか、降りろ。逃げたら撃つからな!」と鳩山が2人をピックアップトラックから引きずり下ろす。場所は教会前の広場。強烈な硝煙と血のにおいがする。鳩山は教会を無視して広場から林に続く小道をたどっていった。鳩山が狂喜する光景が広がっていた。頭を割られた死体、手足を機銃で吹き飛ばされた死体、喉をナイフでえぐられた死体。顔面にピストルでいくつも穴をあけられた死体。死体の脇に、気絶した女が1人横たわっていた。確か、パクの愛人の1人だったはずだ。鳩山の変態性に火がつく。「そうか、このアートはまだ、未完成なんだね。女よ、君が最後の1ピースなんだね。分かったよ、僕がこのアートを完成させてあげる」。兵士の死体の腰から、ランボーナイフを抜き取った鳩山は、彼女の細い首を慣れた手つきで切断する。そして、死体の山の中央に、首を置いて満面の笑みを浮かべる。

マルパッソは、その光景を気色悪いという思いで見ていた。マルパッソ自身、これまで遺体解体は何体も行ってきたが、常に嫌悪感を伴っていた。しかしあのクレイジージャパニーズは嬉々としてそれを行っている。日本人というのは、本当に嫌な奴らだ。マルパッソは人質が教会に着いたことを電話するが、パクは現在電波の届かないところにいるらしい。連絡が取れないときは、最後に受けた命令を続行して待つのが常套だ。マルパッソは人質を確保しつつ、ここでパク本人か、その伝令を待つことにした。

ジュンと張晴少年は、教会前の広場に座らされていた。幸いにして鳩山の奇行を目にすることはなかったが、広場に帰ってきた鳩山が血まみれなことにおののく。

鳩山はマルパッソに、人質を殺す時は自分にやらせてほしい、と血走った目で懇願していた。

と、その時、広場の片隅に2人の男が身をひそめた。1人ははぁはぁと息を切らせているが、もう一人の老人は呼吸を一切乱していない。イチローとソンテク(木村先生)だった。曲がりくねって遠回りになる教会への山道を通らず、教会へ続く崖を直登してきたのだ。30m以上離れているので、スワングループの人間は誰も2人に気づかなかったが、殺気を感じたマルパッソだけが車の陰に身をひそめる。それにつられて鳩山も身を隠す。イチローは押し殺した自分の殺気を感じることのできる敵の存在に驚いたが、まずはこちらに気付きもしない雑魚どもを排除することに専念する。座らされているジュンと張晴少年を確認し、その近くにいる男から順に撃つべくR226SAOのダットを男の頭に合わせていく。
イチローが流れるような一連の動作で5連射する。あまりに連射が速いため、マシンガンのバースト射撃のような発射音が響き渡る。30m離れた5名の男たちの頭が弾ける。5名の内、2名は歩いていた、つまり動く標的だったわけだが、「ムーヴァー」という動体射撃の訓練を積んだイチローにとってはまったく問題なかった。通常なら複数弾撃ち込まなければならないが、この時のイチローは相当な精密射撃を行っており、正確に男たちの脳幹を破壊していた。マルパッソが、隠れているピックアップの荷台に転がるUZIを急いで拾いながら驚く。「これほど芸術的な射撃ができる敵とはなにものだ?(ぜひサインが欲しい)」。男たちが倒れこむと同時に、息をきらせていたキム・ソンテク(木村先生)がジュンと張晴少年のもとに駆け寄る。走りながらマガジンをペクト山拳銃に叩き込み、スライドを引く。座らされているジュンに、鳩山がにじり寄っている。

イチローめがけてマルパッソはUZI を連射するが、本能的にそれが無駄なことだと悟っていた。イチローも、ソンテクに次いでジュンたちのもとに走り寄っていたが、UZIの弾をことごとくよけてしまう。実は、イチローはUZIの銃口のポイント先をよく見て、その振れ具合に合わせて走る速度を調整しているのだが、はた目には神が奇跡の御業でイチローから弾を外しているように見える。UZIのマガジンが空になり連射が止んだ。マルパッソはリロードのためピックアップの陰に隠れ、銃口を上に向けて古いマガジンを抜いた。走りながらイチローはピンポイントでピックアップの陰から覗くUZIのバレルを撃って、ひん曲げてしまう。つぶれて曲がった銃身をみてマルパッソはおののく。「少しでも体をさらせば、そこを撃たれてしまう。それにしても、走りながらバレルを撃ち、当ててしまうとはなんという神業だ?(ぜひサインが欲しい)」

鳩山は地面に肘をついて、這いながらジュンの方に近づいている。手にはグロック19を持っていた。マルパッソの注意がイチローに向いているうちにジュンを殺してしまいたい。本当なら、ナイフでゆっくり解体したいが、その時間はない。拳銃で撃つしかないが、どうせ撃つなら、顔を撃ちたい。ジュンの美しい顔が、グロテスクな肉塊に変化するようすをこの目で見たい。鳩山はその一心でジュンに向かって這ってくる。

ソンテクが這っていく鳩山めがけてペクト山拳銃を撃つ。が、弾が出ない。幾らトリガーを引いてもハンマーがカチンとファイアリングピンを打つだけで弾が出ない。この時、ソンテクのペクト山拳銃の中ではAFPB(オートマチックファイアリングピンブロック)の小さなパーツが割れて引っ込まなくなり、いくらハンマーがファイアリングピンを叩こうともその打撃が弾薬底部のプライマーに伝わらなくなっていた。不発かと思いスライドを操作するが、弾はやはり出ないままだ。「祖国を裏切ったら、祖国製の拳銃が動きを止めた。なんという喜劇だ」とソンテクは思う。鳩山は、銃口をジュンの顔に近づけ、トリガーを引こうとしている。ソンテクは、鳩山とジュンのすぐそばまで来ている。屑鉄になったペクト山拳銃を思いきり鳩山めがけて投げつける。バン!鳩山がトリガーを引いたが、横っ面に1キロもある拳銃をぶつけられ、手元が狂い、ジュンの顔から弾がそれてしまう。ジュンの頬に、9ミリ弾がかすめた赤い擦過傷とやけどができる。ソンテクが怒りにまかせて鳩山に体当たりする。2人はもみあうが、グロックを持った鳩山が3、4発ソンテクの腹を撃つとソンテクはぐったりとしてしまい、動きを止める。これで邪魔者はいなくなった。ジュンを撃たなければチャンスがなくなる、と鳩山がジュンに向き直る。ソンテクが「ジュン先生を、ジュンを殺すな・・・」と言葉を発するが、ひと声ごとに腹に激痛が走り、言葉は声にならない。鳩山が満面の笑みを浮かべグロックを握りなおす。

その笑みの鼻っ柱にドドドッと3つ、9ミリの穴が開く。イチローが撃った弾だった。後頭部から鳩山の邪悪な脳漿が飛び出す。握力を無くした手がグロックを落とす。本能的に自分の死を感じた鳩山の体は、強烈な快感に襲われ、射精を繰り返した。

イチローはマルパッソに向けていた銃口を鳩山に向けなおして発砲しながら呆れていた。イチローは、改めて倒れたソンテク、頬に筋を入れられたジュンを見た。呆れはすぐ怒りに転じ、さらに鳩山の顔の中心に弾を放ち続けた。イチローが空になった20連弾倉を交換するころには、鳩山の顔面は中央部がなくなっていた。

イチローが珍しく感情的になり、鳩山に弾倉いっぱいの弾を放ったことはマルパッソに有利に働いた。ほんの数秒あれば、腰から2丁のスコープ付きコルトパイソン・8インチ・ハンターモデルを抜き、ハンマーを起こしてジュンと張晴少年に向けることはたやすかった。イチローが瞬時にそれを察知してマルパッソの方を向こうとするが、マルパッソのだみ声がそれを制する。「おい、じいさん、俺のリボルバーの撃鉄は起きている。1.2キロまでカスタムチューンで軽くしてあるシングルトリガーだ。その気がなくても誤射してしまうかもな」。「ワッシを撃たないのか?」とイチロー。「まぁ、落ち着け、じいさん。ガキと女から、10m離れてもらおう、ゆっくり歩け」。イチローがジュンと張晴少年から10m離れる。入れ違いにマルパッソがジュンと張晴少年のそばによる。銃口は2人に向けたままだ。「じいさん、銃口を空に向けたままゆっくりとこっちを向け」。イチローがゆっくりとマルパッソと向き合う。「そいつは、SIGのP226、イリートモデル、SAOだな。R226マウントでダットサイト付き、他アクセサリー満載に20連マグか。いい拳銃使ってるな。」とマルパッソが銃ヲタクぶりを披露する。「では、じいさん、拳銃を地面に置くんだ。そっとな、後で俺がいただく予定だからダットを割るなよ」。イチローが身体の前方1m離れたところに右手のR226SAOを、グリップが右に突き出るように慎重に、何かのセッティングをするように置く。左腰の予備のR226はグリップを左に突き出すように、右同様慎重に置く。拳銃のさらに横数十センチに手りゅう弾を入れたバンダリアを捨てる。置き終わると、拳銃から一歩離れた。ズボン右ポケットのS&Wセンチニアルはそのままだが、イチローは現時点でそれを使うつもりはない。

イチローは落ち着いた声で繰り返す。「なぜワッシを撃たないんだと訊いているんだが?。」「じいさん、あんたは俺に信じられないくらいの射撃を見せた。相手に察知されない距離から5名の脳幹を撃ちぬいた。鈍重なライフルではなく、拳銃で。それに走りながら俺のUZIをよけた。どうやったんだ?おまけに走りざまにUZIのバレルと鳩山の頭を撃ちぬいた。あんたは只者ではないはずだ。マーセナリーか何かか?(ぜひサインが欲しい)あんた、俺たちの仲間にならないか?俺の名はマルパッソ。俺とパク大佐のもとで働くつもりはないか?かなりの高給を約束するぞ」。

「ワッシは、悪漢に雇われることはない。」イチローは吐き捨てるように言葉を発する。

「そうか、残念だ。では惜しいが死んでもらおう。死ぬ前に、一仕事やってもらうがな。裏切り者のキム・ソンテクを、あんたの腰のナイフで止めをさしてくれ。そいつは、俺が目をつけ、目をかけて工作員に仕立て上げたんだが、日本育ちのせいか、自分が日本人なのか共和国臣民(北朝鮮人)なのか本人もわからなくなってしまった出来損ないだ。そいつを銃弾一発ではなく、ナイフで苦しめながら殺すんだ。鳩山ほどじゃないが、俺も残酷なショーは好きなたちでね。見返りは大きいぞ。人質は解放するし、じいさん、あんたは苦しまずに俺の357マグナム1発で天国に送ってやる。どうだ、いい条件だろう?」

瀕死のソンテクは、その条件を飲むようイチローに目線で合図を送ってくる。その顔は血を失って真っ青だ。

イチローは首肯すると菊ナイフを抜いた。そして、一歩進んだところで、急に地面にばったりと倒れ伏したようにマルパッソには見えた。ナイフが地面に落ちるカチーン!という音が聞こえたような気がしたかと思うと倒れたイチローの突き出したこぶしが光ったように見えた。マルパッソはとっさに自分も倒れこんだ。自慢のパイソン・ハンター2丁拳銃が地面に落ちる。パパパーン!というR226SAOの発射音が響き、さっきまでマルパッソの立っていた位置の、ちょうど顔面のあった場所を9mmパラベラム弾が空を切り裂いて飛んで行った。「なんというやつだ!!この短時間に、この近距離からあいつはプローンポジション(伏せ撃ち姿勢)をとったというのか?さっき地面に拳銃を丁寧に置いていたのは、俺に言われたからじゃない、プローンで確実に拳銃を握れるように調整していたのか?すごいやつだ(サインが欲しい)。ぜひとも仲間にしたい」マルパッソは地面のパイソン・ハンターを拾い上げようとした。その手を拳銃ごとイチローの靴が踏みつける。伏せるのも速いが、起き上がるのも速い。しかも音を消して走れる。「なあ、あんたを味方にしたいんだ。もう一度考えてくれないか?」とマルパッソ。「それは命乞いか?」とイチロー。「そんなつもりはない。俺は今まで、いろんな奴と戦ってきたが、あんたは特別強い。ただ、一緒に戦いたいだけだ」とマルパッソが神妙に答える。「そうか、マルパッソといったな。ワッシも、お前さんの殺気を読み取る能力に感心していたんだよ。どんなこだわりがあるのか知らないが、使いづらいパイソン・ハンターでこれまで死地を切り抜けてきたこだわりも称賛できる。来世で、一緒に戦えるといいな、これは本心だ。ジュン、少年の目をつぶらせろ。」というや、R226のトリガーを引いた。マルパッソは、未練いっぱいという表情でこの世を去った。

「イチローね?」とジュンがイチローに訊く。「屋久島でフォトの撮り方を教えてくれたイチローね?どうしてあなたがここへ?なんでそんなに戦えるの?あなたは何者?」とジュン。「ワッシのことは後回しだ。キム・ソンテク・・・木村先生が死にかけている。看てやってくれ」とイチロー。

「本当に、ほんとうにすまないことを・・した」ソンテクが声を発する。ジュンがそのすぐそばに座り、自分のブラウスが血に染まるのも気にせずソンテクの介抱をする。止血のため、弾の入った傷口を手で押さえてやるが心臓が脈打つのと同期して次々にドクッドクッと血があふれてくる。「木村先生、しっかりして!」とジュンが叫ぶ。ソンテクは、自分に残された、この世で吐ける言葉はあとワンワードだけだと悟る。後一言発すれば、肺の活動とともに横隔膜が下がり、射入口から血が出て、自分の命は終わる。パク大佐のことを話すのが、一番じいさんの、ひいてはジュンのためになるだろうか?ジュンと張晴君に謝罪の言葉を連ねた方が、自分の思いが伝わるだろうか?半分日本人、半分北朝鮮人という自分の立場やこれまでの労苦を言えばジュンに自分の人生を肯定してもらえるだろうか?ソンテクの口の中が鉄の味でいっぱいになり、体が急に寒くなる。早く最期の一言を言わなければ・・・。「イチロー、木村先生に救急車は呼べないの?ヘリは?このままじゃ本当に・・・」早口でイチローにまくしたてているジュンに向かってソンテクは、言う。「ジュン先生、ずっと好きでした・・・」。その声はあまりに弱弱しく、小さく、イチローにしゃべり続けるジュンの耳には届かなかった。ソンテクは、しかし満足だった。最愛の人の腕の中で人生を終えられる。ずっと自分の居場所が欲しかった。今、やっと自分の居場所にたどり着いた。ソンテクの命の火が消えた瞬間、その口元は満足げにほほ笑む形をしていた。

イチローは、ソンテクの死体をマルパッソやスワングループの死体とは離れた地面に置いてやった。ジュンが張晴少年に抱き着いて泣いている。イチローはソンテクの死体が浮かべている微笑の意味を、正確に読み取って「ゆっくり眠れよ」と声をかけ、くるりと死体に背を向け、アイフォンを取り出す。ラン島警察に電話をかけ、日本人女性1名、少年1名を保護するようお願いする。応対にでた警官は、日本人が免責をいいことにタイ国内で騒動を起こしていることに腹を立てていたためなかなか答えてくれなかった。さらに厄介なことに、今度はその日本人5名が下町に現れて約100名のスワングループのチンピラと銃撃戦を始めたという。そのことで警察は手一杯だという。下町の警察署まで連れてくるなら一応保護はするという。しかし、それではMH60Sヘリでピックアップされる時、ジュンと少年が取り残されてしまう。イチローは警察の保護をあきらめ、ジュンと少年をヘリとのランデブーポイントであるタヤイ・ビーチに運ぶことにした。すると、応対にでていた警官が、警察署長に代わるという。パットと名乗る警察署長は、先ほどの警察官とは大違いで、まるで猫なで声のような声で、「2名の日本人ホステージは、責任を持ってラン島警察が保護し、ヘリへの受け渡しまでいたしましょう。ええ、大丈夫ですよ。あなた方は島のならず者どもや治安を乱す北朝鮮人と戦ってくださっている。本当に感謝していますよ。つきましては、現在のホステージ2名の位置と、ヘリのピックアップ地点を教えていただきたいのですが」と言ってきた。イチローは「さっきの警官は今、警察は手一杯だといっていたが人員をさけるのか?それから、銃撃戦のあっている下町にはいかせたくないのだが」と応対する。パット署長は「マイペンライ(大丈夫です)。下町におろしたくないとおっしゃるなら、現在地にとどまっていただくのがベストと思いますが、まわりに敵はいますか?」と言ってくる。「今はいないが、ここは敵の拠点だった場所だ。いつ何が現れるかわからない。ワッシもそちらの戦いに行かなければならない。ホステージ2人に腕のいい強い警官を護衛につけてくれると助かる。」とイチロー。「では、至急警官をそちらに送ります。あなたは警官が来るのを待ち、警官と入れ違いにバトルフィールドにむかわれるといい。戦闘が終わったら2人をヘリコプターまで誘導します。」「恩に着る」とイチローは礼を言う。「いえいえ、それで、現在地はどこです?ヘリとの合流点は?」「今、崖の上の教会だ。ヘリはタヤイ・ビーチに着く。頼んだぞ」。

パット署長への電話を切ったイチローは丸波の番号をアイフォンで呼び出し、コールする。ジュンが助かったと、娘の声を聞かせてやりたかったのと、今、下町でどうなっているのか聞き出すためだ。しかし、丸波はでなかった。

パット署長は、イチローの電話を切るなり、死んでも惜しくない部下2名を選んで軽武装のまま教会へ向かわせた。そして、私物のケータイ電話で、パク・リー大佐に電話をかける。「パットです。金は約束通りなんでしょうな?お探しのコンジープン(日本人)2名と、そのボスと思われるじいさんを見つけました。今、教会にいます。ヘリはタヤイ・ビーチに到着します。ええ、はい、では・・・」

下町から警官がくるまでしばらく時間があった。イチローは、泣いているジュンに左腰に差しなおしたR226SAOの予備を、チェンバーホット、セフティを切ったSA状態で渡す。「いいかい、ジュン。悪い奴がきたら、これで撃つんだ」。「え?でも私ピストルなんて撃ったことない。人を撃つなんてできないと思う」。「ジュン、キャメラと同じ扱いだよ。このスコープ(実際はダット)の赤い点を、悪人の体に合わせて引き金を引くんだ。相手が動かなくなるまで撃ち続けなさい。20回撃てる。弾がなくなったら、この小さい5連発拳銃に持ち替えて撃ち続けなさい。」といって、ポケットのS&Wセンチニアルも渡す。「小さい方の拳銃は引き金が固いから、人差し指と中指の2本指で引くといい。大きい拳銃も、小さい拳銃も、撃つとき以外絶対に引き金に指を乗せてはいけないよ。どちらも安全装置はないからね。指を引き金に乗せるかどうかで撃つか撃たないかを決めるんだ(実際の226SAOにはセフティはある)両手で持って、腕をピンと伸ばして撃ちなさい」。まったくの初心者にオートマチック拳銃の扱いは難しい。狙いは幸いダットサイトなのでカメラのファインダーと同じ原理で使える。しかし、初弾装填、セフティのオンオフ、マグチェンジなどはできないと考えた方がいい。予備のマガジンを与えてもマガジンキャッチボタンとスライドリリースを教えなければならず、混乱するだけだ。弾が切れたらマガジンを変えるのではなく銃ごと変えた方がいい。SA状態のセフティオフで渡すのは一見危険だが、小さなハンマーやセフティレバーの操作をとっさにすることは、ジュンには無理だろう。それよりトリガーフィンガーのことを教えた方が、カメラ操作と同じ要領なので覚えやすいはず。また、アイッサリー・スタンスも、肘と肩の使い方が微妙なのだが、省略して「腕をピンと伸ばして」と教える。マルパッソの落としたパイソン・ハンターを使わせることも考えたが、スコープの扱いが難しいのと、鈍重なだけで6発しか撃てないパイソンは有効な選択肢ではなかった。そもそも、イチローはジュンにこのR226SAOで敵を倒してほしいわけではない。そう思うなら倒れている敵のAKライフルを渡すところだ。しかし、それではジュンを本格的に戦闘に巻き込むことになる。イチローは、まだジュンの安全が完全に確保されたとは考えていない。ジュンが過剰武装になることなく、かといって無防備になることもない、程よい線を探っているところだ。警官もこのシチュエーションで護身用の拳銃程度なら所持を許可してくれるだろう。

ジュンが、ズボンの尻ポケットにイチローから受け取ったアイフォンを突っ込み、右前ポケットにセンチニアルをねじ込んだ。ジュンはすぐにでも父親である丸波に電話をかけたかった。しかし、現在交戦中の丸波とは話せない、先ほどかけたが不通だった。戦闘が終わったら丸波から電話させる、とイチローになだめられ、今は両手でSIGをグリップする方法を確かめている。「添えた左手の親指を、拳銃の後ろに回してはいけないよ・・・」とイチローが声をかけていると、教会への坂道を一台のパトカーが走ってきた。

到着したパトカーに乗った制服警官をみて、イチローは少しの不安を覚えた。たったの2人。それも装備が拳銃だけとは軽すぎる。しかし、今は彼らにジュンと張晴少年を任せなくてはならない。イチローは手りゅう弾の入ったバンダリアを肩にかけると2人の警官に銃撃戦の詳しい位置を聞き「くれぐれもホステージを頼む」と言い残して、鳩山が乗っていた日産ティーダに乗り込み下町を目指した。がたつく石灰岩の未舗装路をアクセルべた踏みで急ぐ。

 

下町へ続くトンネルを走り抜けたパク大佐と2人の部下は、すぐにスワングループ100名の大群と合流した。パクは、M16A1を揃いで持つこの集団が、まったく統制がとれていないことに失望した。なんの工夫もなく、町のトンネル出口付近に団子のように固まっていたり、勝手にうろついていたり、およそこれから戦闘をする者とは思えない。見れば重い上に標的になりやすいM60機関銃や、発射の度に無防備になるRPG7などは敬遠されて地面に転がされたままだ。使いようによっては非常に有効な火線が張れるM60は5丁もあるのに打ち捨てられている。「こいつらはどうやって戦うつもりだ?」暗澹たる気持ちで怒声をあげ、指揮を執り始める。100名を4つのグループに分け、それぞれのグループにM60を1丁ずつ持たせる。敵の日本人がトンネルから来るのか、迂回して別の道から来るのか分からないため、トンネル出口からすぐ、パッタイ交差点の十字路四方向をそれぞれ4グループで分担防御させる。トンネル出口は特にM60を2丁配備し、射線が出口でクロスするように設定する。本当なら、各通路をロードブロックで塞ぎたいのだが、満足な資材を調達できなかったため自動車を各2台並べて防御の足しとする。各通路には25名ずつが配置される計算となり、その25名をさらに5名ずつの5班に分ける。1つの班がM60を操作し、残り4班が道路左右に展開してフレンドリーファイアー(同士討ち)をせず、しかも敵を死角なく撃てる射界を確保する。パクが指示する戦術的な動きや配置に、いちいちスワングループの男たちが感嘆の声を上げる。それをパクはいらいらしながら見ている。すべての配置が整ったと思った時、トンネル方向から7.62ミリ弾の連射音が2度ほど聞こえてきた。「バカどもが興奮して勝手に撃ちはじめたか?」とパクは思いトンネルの方に向いている2丁のM60を見やった。M60射手の頭が吹き飛んでいる。2丁ともだ。この銃撃は味方ではない、敵の日本人によるものだ。奴らはトンネルから攻めてきた。パクはM60を機能させるべく、次の射手をつかせようとするが、怖がってなかなか銃座につこうとしない。かと思えば、M16をマガジン一本分一気にフルオートで撃ち尽くしてしまう音があちこちで聞こえてくる。パクはどやしつけ、怒鳴りつけ、何とかM60の射撃を継続させようとする。同時に、通りの残り3方向に展開している25名ずつをパッタイ交差点中央に集め、トンネル方向に向けて向きなおさせる。どこからともなく白煙が漂ってきた。M60でもない、M16でもない、別種の銃器の発砲音が聞こえてきた。パクはなんとしても日本人を殺したかった。

 

丸波は最初のMG4の2連射で敵のM60を2丁とも沈黙させた。直後に田村がスモークグレネードを投げる。日本人軍団5名は発砲前に敵の配置をよく観察していた。このまま突っ込むと物量的に圧倒され、必ず負けてしまう。工夫が必要だった。トンネル出口のM60を2丁とも奪取して敵の群に撃ちかけることが必要だった。狙うのは敵同士のフレンドリーファイアー。そして、パク大佐が機能的に並べた陣形を、もとの団子に戻すことだ。団子になれば、少人数のこちらの機関銃や手りゅう弾でも敵を制圧でき、同時に敵の銃撃はフレンドリーファイアーの連続、という状態にもっていける。何より、パクによって俄に兵士になってしまった連中をもとの烏合の衆に戻せば、逃げ出すものが大勢出てくるはずだし、倒すのも楽なはずだ。

 

田村の投げたスモークグレネードの煙はトンネル出口をすっかり覆い尽くしてしまった。まずは、トンネル出口を固めている25名を倒さなければならない。丸波が通路右側をMG4を連射しながら進む。反対側をMIZがM249を連射しながら進む。それぞれの後ろをサウンドサプレッサー付きM4カービンを構えたナガケン、ノザケンが続く。視界不良の中、機関銃や小銃による銃撃はなかなか敵にあたるものではないが、少人数の日本人軍団にとってはどこを撃っても敵に当たり、大人数のスワングループにとっては味方を撃たないように発砲に及び腰にならざるを得なかった。爆発物の扱いは特にそうで、味方が大勢いる中にRPG7を撃ちこむわけにはいかないが、丸波とMIZの方向だけに気を付ければいい田村は遠慮なく手りゅう弾を投げていく。田村は通路中央で敵が5人ずつ固まっているところに手榴弾を投げる。パクが5人グループに分けて配置していたのは田村にとって好都合だった。田村の手榴弾1個で5人が全員負傷するところもあった。スモークグレネードの白い闇の中においては、日本人軍団優勢であった。田村の手榴弾で負傷したところに、続け様にMG4とM249の掃射を浴びる。トンネル出口を囲むスワングループはボロボロになっていく。パク大佐の怒声に呼応して新たにM60を操作しはじめた敵を、煙に乗じて近づいてきた丸波とMIZが射殺する。すかさず後ろについてきたノザケンとナガケンが敵のM60に取り付いた。敵の死体をわきに転がし、トンネル出口を向いていたM60をパッタイ交差点の方向に向けなおす。血で汚れたフィードカバーを開け、弾薬帯を新しいものと交換してチャージングハンドルを引き、トリガーを絞る。誤射を恐れて煙の中を撃たなかったパッタイ交差点の75名めがけて7.62ミリNATO弾が襲い掛かる。かたまった陣形に転換していたので、2丁のM60が繰り出す数連射でたちまち10数名が撃たれ、絶命する。パク大佐が怒り狂い、まだ敵味方がはっきり見えない煙の中めがけて発砲を命令する。パッタイ交差点に展開していた敵は、恐怖を紛らわせるかのようにM60はじめおのおののM16を撃つ。銃弾が着弾する音に加えて、RPG7の発射音と爆発音が響く。RPGが着弾したトンネルの壁は大きくえぐれ、破裂して小さな小石の雨が降る。M60奪取に成功した日本人軍団の丸波、MIZ、田村はロードブロック用に並べられた車のエンジンルーム脇に屈んで身を隠す。ノザケン、ナガケンの2人が給弾しながらM60を撃つ。発射音は響くが、その姿やマズルフラッシュは煙に隠れて見えない。

 

たまったものではないのは、トンネル出口方向に展開していた生き残りのスワングループである。薄れてきたとはいえまだ残るスモークグレネードの白い闇の中、ナガケン、ノザケンの奪取したM60掃射と味方数十名の射撃のただ中に置かれてしまった。方向感覚をなくし、うろついているところをノザケン、ナガケンのM60で撃ち殺される。同じくうろついているところを、味方の3丁のM60と、60丁を超すM16の射撃に晒されてしまう。

 

M16は一度に30発発射できるマガジンを備えているが、60名で一斉に連射すると1800発の5.56ミリ高速NATO弾が空間を埋め尽くすことになる。そこに3丁のM60が加わる。頃合いをみてノザケンとナガケンも奪取したM60の連射をやめて身を隠す。

 

生き残ったスワングループが次々に撃たれて死んでいく。勇敢な2、3名がナガケンのM60を奪い返そうとアタックを試みるが身を隠したナガケンのサウンドサプレッサー付きM4A1で返り討ちにあっている。

 

スモークグレネードの煙が晴れてきた。同士討ちにあったトンネル出口のスワングループは全滅している。

 

遮蔽物になっているボロボロの車2台を挟んで、日本人軍団とスワングループ約60名が対峙していた。MG4、M249を構えた丸波、MIZが車の1台ずつの陰に。丸波のすぐ後ろにM4A1と手りゅう弾、スモークグレネードの残りを抱えた田村。その若干後方に敵から奪ったM60を構えるノザケン、ナガケンがいた。不意に丸波のガラホ・ケータイが鳴り出す。相手も確かめず、あわてて電源を切る。

 

パク大佐は、パット警察署長からの電話に出た。敵のボスと人質の居場所が分かった。敵の目指している地点もわかった。これで勝ったも同然だ。パク大佐は崖の上の教会に、弱くて使い捨てできる警官を置き、人質の日本人をその場にとどめさせておくように伝えて電話を切る。

 

パク大佐はスワングループを再度展開させることも考えたが、「敵はたった数名ではないか!!」という点に引っかかり、このままあの遮蔽物になっている車にRPG7を何発も撃ちこんで、たまらず出てきたところを一斉に撃てばいいだけではないか!と思い、陣形をそのままにした。現時点で30数名のスワングループが殺害されていたが、別に自分の部下ではないので惜しくもなんともなかった。残り60数名いて、今の陣容なら素人でも勝てる。この場は放置して、人質たちのいるところに行こう。日本人のボスであるじいさんと対決しなければ。パクは、一言「撃ち方はじめ!ありったけ撃て!」と命じると忠実な北朝鮮人部下2名を連れてパッタイ交差点西側にロードブロックがわりに停めたトヨタ・ランクルに乗り込み、教会に向かって走り出してしまう。銃撃音で車の音はかき消され、パクが移動したことに気付いたのは味方でも数名しかいなかった。

 

激しいRPGと5.56ミリ弾の雨の中、田村が、丸波と相談する。「さて、どうする?スモークがもう一度きく保証はないが、やるしかない。俺たちの残弾は少ないし、乱戦に持ち込まなければ一方的に火力で押されてやられる。しかし煙がでればパクがどこにいるのかわからなくなる。スモークを投げる前にパクを狙撃できないか?」と田村。丸波は、この状況で田村の声が明るくはっきりしていることに驚きながら答えていう「わかった、やってみよう」。田村がノザケン、ナガケンに制圧射撃をかけさせる間に丸波が遮蔽物のエンジンルームの陰から顔を出し、パク大佐の居場所を特定しようとする。先ほど朝鮮訛りのタイ語が聞こえていたのでどこかにいるはずだ。しかし、いくら目を凝らし、サーチメソッドで視界を走査させてもパク大佐の位置はつかめないまま。数秒も顔を出していると、丸波の頭付近に100発を超える敵弾が固まって飛んでくる。思わず首をひっこめる丸波。

「おもしろくなってきやがった!」MIZがエンジンルームと地面の間から覗ける限りの敵の足を、M249で狙い撃ちしていく。足に5,6発撃ちこめば必ず敵は倒れる。倒れて胴体と頭が射界に入ったところをさらに5,6発撃って絶命させる。これを繰り返していく。残弾が少ないのが気になったが、いざとなればごろごろ落ちている死んだ敵のM16マガジンを拾って射撃続行するつもりだ。M249ミニミはベルト給弾が途切れた場合、M16のマガジンが使えるようになっている。

 

ダーン!!とものすごい音を立てて丸波と田村が遮蔽物にしている車の半分が爆発し、吹き飛んだ。スワングループの放ったRPG7のうちの一発が命中したのだ。2名はとっさに地面に伏せ、耳を手でふさぎ、口を開いて内耳を守る。しばらく耳鳴りが続いていたが、丸波が田村に言う。「はやいとこスモークを焚いてくれ」。「わかった」というや田村は最後の2個になったスモークグレネードを自分たちの周りと敵の方向に放り投げた。

 

先ほど、スモークグレネードのために同士討ちになり味方が大勢死ぬことになったスワングループは、新しい煙に用心して60名がより互いの距離を詰めて並ぶことになった。60名が団子になり、小銃を発砲し、RPG7を撃つときだけ射手が団子から飛び出してくる。田村が投げたスモークグレネードの煙が徐々に60名を包んでいく。まるで煙が敵を一塊にしているかのようだ。

 

スワングループは全員が全員、そろってトンネル出口方向を向いている。その反対側、パッタイ交差点の北側に日産ティーダが静かに停まった。スモークグレネードの煙と、スワングループの向きやその塊具合を見て、イチローは即座に日本人軍団がどのような戦い方をしているのか察する。そして、このままではトンネル出口方向の遮蔽物に隠れた日本人軍団は雪隠詰めにあってしまうと考えた。彼らが出てきて十分な射撃ができるようにしてやろう。

 

イチローは肩から背負った5つの手榴弾が入ったバンダリアを手にしながらスワングループの群に近づく。振り返ってイチローに気づく敵もいたが「何をしている!撃ち続けろ!」とさも味方であるかのように堂々と振る舞っていると、気にするものはいなかった。外国訛りのあるタイ語。どうせいばりん坊の北朝鮮人が増えたのだろう、程度に思っていたのかもしれない。

 

イチローは煙の中、手りゅう弾が最も機能的に爆殺効果をあげるポイントを探ったが、60名があまりに密に固まっていたのでどこを選んでも最大効果を発揮できそうだった。「ジョームティー!!(撃て!!)」と叫び声をあげながら無造作にピンを抜いた手りゅう弾を集団の中心部に投げ込む。3個を、2m間隔をあけて群の真ん中に投げる。4秒待ち、続けて左翼に1個、右翼に1個と投げ込む。まず敵の真ん中で3つ爆発が起きる。直接爆風で死んだのは数名ずつだったが、破片が周囲の十数名に襲いかかる。プレートアーマーはおろかフラグメンテーションベストすら着ていないスワングループの集団の中で手りゅう弾は非常に効果的に機能した。敵はとっさに地面に伏せる。集団の真ん中にいて負傷した敵が前後左右に逃げようと動くが、伏せた味方や死んだ味方に阻まれて進めなかったり、つまづいたりする。そこに左右に投げられた残り2個の手りゅう弾が炸裂する。イチローが叫ぶ。「日本人の大群が来たぞ!やつらは迫撃砲を撃ってきやがった。伏せろ!伏せろ!」白い煙が漂う中、秩序だった動きができないまま、地面に伏せてうずくまるもの、我慢できず立ち上がって逃げ出すものなど、収集がつかずバラバラになりかけている。「兵士」だった連中が、イチローの手によって元の烏合の衆に逆戻りする。立ち上がって逃げていく背中や頭を、右腰から抜いたR226SAOで撃って倒していく。近距離でイチローがスピードシュートを始めたのは、手りゅう弾以上の破壊力を示した。たちまち20名ほどを撃ち倒してしまう。イチローはさらに叫ぶ「裏切り者が混じっているぞ!周りの人間を信じるな、隣の人間を撃て!誰でもいい、撃つんだ!撃って逃げろ!」。残り30名ほどに減った敵は転がる味方の死体に動揺し、イチローの言うとおりに動いてしまった。さっきまで隣同士で戦っていた相手に疑いの銃口を向ける。銃口を向けられれば反射的に応射してしまう。烏合の衆と化したスワングループはお互いに殺し合いを始める。

 

イチローはサッと走り出す。「撃つな、イチローだ」と日本語で叫びながら丸波と田村が伏せている地点に急ぐ。「日本人、みんな交差点の敵を撃って殲滅するんだ!今なら奴らはまともに撃ちかえしてこれない!」と叫ぶ。それまで身を隠してくれていたスモークグレネードの煙からでて、丸波がMG4の最後のベルトリンクを交差点で右往左往する敵めがけて撃つ。MIZが敵の死体からもぎとったM16マガジンポーチから30連マガジンを交換しながら残敵を吹き飛ばしていく。ノザケン、ナガケンがM60に再び取り付き煙の中に浮かぶシルエットめがけて7.62ミリNATO弾を喰らわせていく。2分あまり全員で掃射を続けると立っている敵影はいなくなった。日本人全員が、敵が固まっていたパッタイ交差点中央まで前進する。ナガケンが転がっているスモークグレネードに敵の死体をかぶせる。倒れているスワングループはあらかた死んだ。死にかけて苦痛のうめき声を上げている敵に温情としてとどめの銃撃を浴びせている丸波のMG4が弾切れになる。丸波はMG4を捨て、MP5SD6に持ち変えながらイチローに言う、「イチロー、パク大佐がいないんだ。あいつがジュンの居場所を握っているはずなのに・・・逃げた敵の生き残りを尋問しないと」。「丸波、パクが野放しなのは気になるが、ジュンと張晴少年の居場所は分かっている。」とイチロー。「本当か?」と丸波が泡を食う。「本当だ。崖の上の教会にいる。ラン島警察の警官に保護されている。ジュンにワッシのアイフォンを渡してある。電話一本で警官がヘリの到着するタヤイ・ビーチまで送り届けてくれるはずだ。」丸波が泣きながら自分のガラホ・ケータイを取り出す。イチローは残りの日本人軍団に四方警戒をさせながらそのようすを見つめる。

 

 

パク大佐が警官2名を撃ち殺したM16ライフルを肩から捨て、ジュンから取り上げたR226SAOを珍しそうに眺めている。拳銃など所詮、腰の飾り。近距離での処刑用か自決用の道具に過ぎない。それにわざわざダットサイトを載せ、レーザーを載せ、フラッシュライトまで載せてある。こんなごてごてした拳銃を使うくらいならライフルを使ったほうがはるかにいい。それも旧式のAK47Ⅲ型かAKMがいい。軟弱な小口径5.45ミリのAK74ではなく、近距離のストッピングパワーに優れた7.62ミリ時代のAKライフルが一番だ。パクはアメリカ製のM16ライフルが嫌いだった。今日はそれを使わなければならなかったのが不本意だった。

 

ジュンたちを保護していた哀れな2名の警官は、パクとその部下に撃たれて地面に転がっている。この2名の警官は、ジュンと張晴少年がここから動かないようにするために添えていただけだ。ランクルで近づいたら生意気にも拳銃を向けてきたのでパクとその部下2名が車を停車させると同時にM16をマガジン1本ずつ撃ちこんで殺してある。

 

「殺してある、と言えば・・・」とパク大佐は教会前広場を改めて見回す。「よくも、マルパッソを殺してくれたものだ」絶命している忠実な部下のマルパッソを残念な思いいっぱいに見下ろす。パク大佐が教会を去った後、案の定、林に展開していたスワングループは全滅させられたらしい。しかし、気にならなかった。薄汚いスワングループは何人死んでいようと構わないし、変質者の鳩山は金づるという役目がなければパク自身が殺したかったほどだ。しかし、マルパッソとキム・ソンテクの死は痛かった。思わず人質の女と少年をR226SAOで撃ち殺したくなるが、こいつらが日本人グループのボスであるじいさんをおびき寄せるエサだ。何とか思いとどまる。しかし、2人も人質はいらないのではないか?泣いて足手まといな女の方を撃つか、反抗的な態度をとる少年の方を撃つか・・・。そんな思案をしているとどこかでアイフォンの呼び出し音がなった。なんだ?どこからなっている?人質の女が、ポケットからアイフォンを取り出した。そういえば、拳銃を取り上げたことに満足して女の身体検査をおざなりにしていたな。迂闊だった。

 

ジュンはアイフォンの画面に漢字で「丸波」という表記が浮かび上がってくるのを鳥肌とともに確認した。「お父さんだ!」急いでグリーンの応答ボタンをタップする。「お父さん?私よ、ジュン!大丈夫よ・・・」

 

パク大佐がジュンの手からアイフォンをもぎ取る。「私だ、パク・リー大佐だ」

 

丸波は意味が呑み込めなかった。イチローに促されるままにアイフォンを呼び出したらジュンの声が聞こえた。しかし、今はパク大佐が話しはじめている。

 

異変を感じたイチローがガラホをスピーカーフォン・モードに切り替えさせる。

 

パク大佐は続ける。「女と少年は預かっている。今のところ無傷でな。お前らのボス、じいさんと話したい」

 

イチローが「ワッシだ。イチローだ。一つ言っておくが、人質を傷つけたらお前を文字通り細切れにして殺す。お前の家族を、お前の祖国に乗り込んで行って同じ目に合わせる」

 

パクが言う。「イチロー、私に脅しは効かないし、私の家族への脅しも効かない。私の娘は、すでに祖国のために命を捧げている。今頃は天国で私の働きを見守ってくれているはずだ。イチロー、人質を返す条件は、お前が一人で崖の上の教会に来ることだ。残りの日本人に興味はない。私は、イチロー、お前を殺さねばならないのだよ」

 

丸波が割り込む「その娘は私の娘だ!私が行く!」

 

「話を聞いていないのか?雑魚に用はない。イチローが一人で教会に来なければ人質は死ぬ。話すことは以上だ」パクは言い終わるやイチローのアイフォンを地面に落とし、R226SAOで撃ち壊してしまう。

 

イチローは落ちているM16を一丁拾うと静かに日産ティーダに向かう。丸波がその後を追う。「丸波、ついてきてはいかんのだよ。分かってくれ」とイチロー。「しかし・・・」と丸波。「ワッシに任せておけ。ワッシがしくじったことがあるか?ワッシは必ずジュンを連れ帰る。田村たちと、タヤイ・ビーチにLZ(ヘリコプター着陸地点)を確保しておいてくれ。ブラックウォーターに撤収を始めると伝えるんだ。必ず帰りのヘリにはジュンが乗っている。いいな?」

 

夜の闇が周囲に満ち始めていた。ヘッドライトをつけ、イチローは、パクの待つ教会に向けて車を飛ばす。奇襲をかけたいが、パク大佐にそれが効くだろうか?肩につったM16は武装解除を演じ、捨ててみせるためのデコイにすぎない。闇の中これで遠距離から狙撃することは考えていない。顔を確認できる距離まで行き、相手が確かにパク大佐だと確信してから殺さなければ、ジュンが危ない。懐に飛び込むため、M16を捨て、場合によっては拳銃を捨てて見せ、ナイフで首をはねるか、素手で首を折るか。

 

攻め方を考えながら走るイチローの日産ティーダのフロント部分が突然爆発する。車は一度宙に浮き、地面に横ざまになりながら落下して叩きつけられる。車の中で、イチローの体が人形のように舞う。何が起こったのかわからなかったが、イチローは「とにかく車をでなければ!」とR226SAOのグリップエンドでドアガラスを割る。揮発したガソリンのガスを深く吸いこまないよう、胸だけで極浅い息をする。肩にしょったM16が窓枠に引っかかる。腰から菊ナイフを抜き、スリングを切る。イチローが車から転がり出るのと、車内に充満した揮発ガソリンが爆発するのが同時だった。イチローは5mほど吹き飛ばされ、服が焦げ、したたかに頭を地面に叩きつけてしまう。

 

一瞬気を失ったイチローが目をさます。10mほど離れた位置に人影を感じ、さっと立ち上がって反射的に拳銃を構える。夜の闇の中、離れて停められたランクルのヘッドライトが人影の一団を照らし出している。構えた銃口の先にジュンがいた。イチローがジュンから銃口をそらす。ジュンのうなじに、ジュンから取り上げたR226SAOを突き付けたパク大佐が立っている。その右脇には張晴少年にペクト山拳銃を突きつけた北朝鮮コマンドが1名。左脇ではもう1名が空になったRPG7に新しい弾頭をさしなおしている。

 

「RPGの直撃を受けて生きているとは、強運の持ち主なのか、歳に見合わず丈夫なのか?しかし頭はあまりよくないな。私が待ち伏せする可能性は考えなかったのか?」パク大佐が憎々しげに言いながらイチローめがけて一発発砲する。威嚇発砲なのでイチローには当たらない。しかし、イチローの顔面の10cm右を9ミリの銃弾が飛んでいき、その衝撃にイチローの顔をゆがませる。

 

「イチロー!!」ジュンがイチローの方に歩み寄ろうとする。

「待て!簡単に殺しはせんよ。聞き出すことが山ほどあるしな」パクが拳銃を握っていない左手でジュンの髪の毛を引っ張り、首を右に左に揺さぶった後、大きく左に引っ張って首に負荷をかけ引きずり倒す。怒りに任せて手加減しなかったため、ジュンは首をひねられた形になり気絶してしまう。「おとなしく立っておくこともできないのか、くそアマめ」パクが吐き捨てながら、新しい盾として張晴少年にR226SAOを向け、その陰に隠れる。

 

イチローがよく狙いをつける。狙いはパクがトリガーを引く前に運動能力を奪う首の骨の上から4番目の中心だ。神経の寄り集まっている個所を撃とうとトリガーに指を乗せる。

が、その瞬間2名の忠実な北朝鮮コマンドがパクの前に身を挺し、文字通りの人間の盾となって立ちふさがる。イチローからはこの2名が邪魔でパクが撃てなくなってしまった。この2名を撃ってパクを撃つのに2秒とかからないが、その間にパクは少年を撃ってしまうだろう。それは避けたかった。

 

「イチロー、持つべきものは忠実な部下だな、ハハハ!!銃を捨ててもらおう」とパクの声に余裕がでている。

 

イチローは言われるままにR226SAOを地面にそっと置く。グリップを右に突き出し、何かのセッティングをするように、丁寧に置いた。

 

ジュンはおぼろげに目を覚ました。石灰岩質の地面が顔に当たって痛い。パクの部下はパクを撃たせまいとイチローに向かい集中し、倒れたジュンには無関心になっている。闇に乗じてジュンはそっと上半身を起こしてみる。右腰に違和感がある。イチローが、大きな拳銃が弾切れになったら使え、と言って渡した5連発の小さな拳銃だった。腰骨に当たってごつごつする。そっと抜き出してみる。ジュンが倒れている場所から、パクが見えた。「私なら少し後ろに動けばこの男を撃てるのではないだろうか?」とジュンが思う。これはフォトシュートと同じだ。欲しい構図を得たいならカメラを持って自分が動かなくてはならない。今はパクを確実に撃てる位置に動かなくてはならない。小石の音をなるべくたてないようにジュンは立ち上がり、パクの背後の闇に3歩周り込む。ジュンの目に無防備なパクの背中と左横っ腹が見えた。ここでいいはずだ。小型拳銃を両手で握りこむ。

 

イチローは、ジュンの動きに気付いていた。ジュンがセンチニアルを抜いたのは意外だったが、なるほどジュンの位置からならパクが撃てるだろう。パクの気を自分にひかねばならない。

「ワッシは言われた通り、拳銃を置いたぞ。さあ、どうする?撃つのか?撃たないのか?ワッシに聞くことがあると言っていたがなんだ?お前は全てに失敗しているんだぞ?」イチローがわざと癇に障る下卑た声で言う。

 

ジュンはセンチニアルの上部を見つめた。イチローが教えてくれたようなスコープ(実はダット)はない。銃身の上に薄い金属の板があり、その後方は板に合わせた幅の溝が彫ってある。「溝を通して薄い板を敵に合わせればいいのね、きっと」。ジュンはフロントサイトとリアサイトの関係を瞬時に理解してしまった。パクの胴体めがけて、ランクルのヘッドライトを受けて銀色に輝くフロントサイトを合わせる。あとは引き金に人差し指と中指を乗せる。引けばパクに当たるだろう。「私は人殺しになるのだろうか?」とジュンは考える。「いや、私が撃たなければ張晴君が殺されてしまう」と思い、意思を固める。しかし、パクの右手の動きが見えた時、ジュンの決意と自信が揺らぐ。パクは「ガキから殺す。こいつは水谷コーポレーションの子ではない、間抜けなグエンが取り違えた哀れな巻き添えだ。気の毒だが、利用価値がないうえに反抗的なんでね」と言いながら、銃口を張晴君の頭にピッタリと突きつけてしまう。胴体を撃っただけでは、人間はすぐには死なないものだ。それは木村先生(キム・ソンテク)の時に学んでしまった。腹部を4発撃たれた木村先生は、その後数分生きていた。生きてジュンと言葉を交わした。数分あれば、パクはきっと張晴君を撃ち、銃を捨ててしまったイチローを撃ち、私を撃つだろう。かといって、一発で人を絶命させることができる個所などジュンは知らない。漠然と頭を撃てばいいのだろうと思うが、自分の震える両手で小型拳銃が正確に頭を撃ちぬくとは思えない。ジュンとパクの距離は3メートルほどだが、ジュンには自信がない。せめて、張晴君の頭から銃口が逸れてくれれば!!

 

困ってジュンはイチローを見る。イチローは、眼球の動きでジュンのことを見ているのを悟られぬよう目玉は動かさず、周辺視野でジュンを見ていた。イチローも、パクの銃口が少年の頭に密着したため難易度が上がったと思っていた。そのため、ジュンが何にためらっているのかよく分かっていた。あの、パクの銃口を他の方向に向けねば!

 

イチローは唐突に「イルソンもジョンイルもひどいボンクラだったが、ジョンウンは最低だなぁ!」と声に侮蔑を混ぜて語り始めた。パクは表情を変えない。どうやらパクもジョンウンは最低と思っているらしい。イチローがパクの年齢を考えて論難相手を変える。「しかし、何といってもイルソンの嘘つきにはまいった。自分はヌクヌクと後方にいたのに、抗日戦で先陣切って戦ったことにしている。卑怯で嘘つきという金王朝の特性はイルソンの代ですでに決まっていたようだ。国民の半分が飢え、そのうち餓死寸前なのが100万人。その礎を作ったのがイルソンだ!朝鮮戦争でも・・・」「やめろ!」パクが反応した。「キム・イルソン将軍は全国民、全世界の敵である日帝と勇敢に戦った!チョッパリがキム・イルソン将軍を語るなど、何という不敬!!」。イチローが茶化していう「イルソンは犬だよ。パク、お前はその犬の血統を守る番犬だよ。犬が犬に使われている、バカ犬だよ」。「ジジイ!!貴様の減らず口、二度ときけぬようにしてくれる!!」パクが右手の拳銃をイチローに向ける。張晴少年の頭から銃口が外れる。

 

「今!」イチローとジュンが同時に声を上げる。ジュンがトリガーを引く。酷いガク引きだったが、フリンチはせず、38スペシャル口径弾がパクの左わき腹を穿つ。パクは驚いてトリガーを引いてしまうが、弾はイチローには向かわず、自分の面前で盾になってくれている部下の後頭部にめり込んでしまう。部下が地面にドウッと倒れる。イチローに対してパクの体が晒される。パクは撃たれた左腹を左手で押さえ、痛みに耐えながらイチローに銃弾を浴びせようと右手を突き出す。しかし、その銃口の先にイチローはいない。イチローは最初の銃声がした瞬間から高速プローン(伏せ撃ち)のため地面に倒れ伏していた。パクが最後に見たものは、イチローがいたはずの場所の地面がパッと光ったようす。最後に耳にしたのはパパンパパンという乾いた発砲音だった。イチローはプローンポジションからパクの両目の間と鼻、口めがけて4発発砲する。周囲は暗かったが狙いを正確につけられるのがダットサイトの利点だ。ドドンドドンッと銃口が跳ね、パクの顔面に4つの穴が開き後頭部が弾ける。さらに続けて生き残ったパクの部下の顔面にも3発発砲する。部下は手にしたペクト山拳銃を撃とうとしたが間に合わなかった。

 

イチローのR226SAOにはまだ十分な数の残弾があったが、立ち上がりざま古いマガジンを抜き、新しい20発マガジンを挿しこむ。イチローは暗闇でもマガジンチェンジに2秒とかからない。「ジュン、引き金から指を離して銃口を地面に向けるんだ!」と指示しながら、パクと部下2名の死体に近寄っていく。倒れているパクは、まだ死んだ自覚がなく、体をピクピクと震わせていたが、まだかろうじて身体と神経がつながっている脳幹部に追加の3発を見舞うとパクの体は死を受け入れたかのように動きを止めた。イチローは部下2名にも同様にとどめをさす。

ジュンは、センチニアルを握りながら、放心したように立っている。張晴少年が泣いていた。

イチローは、パクのポケットから携帯電話を探り出し、丸波につないだ。ジュンに電話を渡す。丸波の声を聴いたためか、ジュンが突然ワッと声を上げて泣き出した。

 

ジュンは、その後の細かな出来事をよく覚えていない。促されるままに車に乗り、どことも知れないビーチにつくと大きなヘリコプターが着陸していた。ヘリのそばで父親が機関銃を持って待っていた。ジュンが近寄ると銃を捨てて父親が近寄ってきた。ジュンは父親に抱きしめられながら気を失ってしまった。

 

目が覚めたのはバンコク・シリラート病院の個室ベッドの上だった。

 

父親と、いつ駆け付けたのか、日本から母親が来ていた。

 

「ジュン、お前の生徒、張晴君は無事にご家族と家路についたよ。よく頑張ったな」父親である丸波が目覚めたジュンにかけた第一声がそれだった。

 

「私は、私は人を撃ったの・・・」ジュンが思いつめたように言うと、丸波が打ち消す。「お前はただ、人質として連れまわされていただけだ。誰も撃ってはいない。撃った証拠はこの世に残っていない。いいな?」

丸波は、不逮捕特権を持っているとはいえ、日本に帰れば大量殺人者としてつらい立場に立たされる。喜多長という男性が丸波や、丸波と戦った日本人が不当な扱いを受けることなく無事帰国できるよう手はずを整えてくれるそうだが、それまでバンコクで過ごすという。「イチローは?イチローはどこに行ったの?」とジュンが聞く。丸波は「さぁな。あいつは姿をくらましたよ。出てきてくれないと、喜多長も庇いようがない、って言って困っているんだが」。

 

ジュンは落胆した。しかし、すぐにイチローと会う方法がわかったような気がした。ジュンが困っていると、どこからともなくイチローが現れるはずだ。イチローはジュンの守り神なのだ。PTSDを心配され、ジュンは父親より早く日本に帰国することが決まっているそうだ。「また屋久島に登りに行くのもいいわね」。カメラを持って構図に困っていたら、屋久鹿のように音もなく歩きよってくるかもしれないイチローの笑顔が想像でき、ジュンは思わず笑ってしまった。

「イチロー、またきっと会えるわね。きっと」。

 

 

 

ありうるハナシ

これは先ほどコメント欄に書いたものですけど、見逃してほしくないので ここに再度あげておきますね。
市 (^-^)/

で、あのさ、誰かさ・・
こういうの↓書いてくれんかな?・・・

月の裏側に巨大な物体が近づいて見えなくなったのをNASAが確認する。やがてそれは地球からまっすぐの月面にゴキブリのように動いてきて停まった。肉眼で見えるサイズだ。全世界が騒然となり、地球人は全員がそれを見つめる。ほどなくしてNASAはシグナルを受信する。それはボイジャーが人類の紹介をするために宇宙に放ったメッセイジだった。やがて、その物体から50個ほどの物体が分散しながら地球に向かって降りてきた。そのひとつが富士山の麓に着陸する。カマボコ形で長辺が20kmもある巨大な宇宙船だ。そのハッチから径60mほどの円盤が50機ほど飛び出して行き、それぞれに海や湖、河や山に潜っていく。そのなかのいくつかは大都市にやってきて数千人もの人間を生きたままとらえてカマボコ基地に運ぶ。政府主導でコンタクトを試みるも返事などなく、異星人は姿も見せない。家族を拉致された人々は抗議行動を起こすためにカマボコの近くに行くが、寄ると身体がしびれて動けなくなる。当然ながら自衛隊は武器など使用しない。アメリカ、ロシヤ、チャイナなども静観するのみ。やがてカマボコの屋根からガスのような霧が高々と放出される。それを収集して科学者たちが解析すると・・・それは人間の身体を完全解体し、DNAもなにも検査され尽くしたあとの灰のようなものだった。

さあ!! この後どうなるのか?・・・

請う!! ショクンの展開センス!!

ショートストーリー。 ー専守防衛ー

ー 専守防衛 ー

「ブレイク!、ブレイク!」。
ヘルメットのイヤーパッドにAWACS 早期警戒管制機からの指示が入る。
反射的に操縦桿を左に倒し手前に力一杯引き、パワーレバーをミリタリーまで押し込む。
機体は左へ激しくバンクし、ガッと身体へGが襲う。
Gメーターの針は7を超えた。Gスーツが下半身を締め付ける。腹筋に力を入れ強く短い呼吸で、脳から血液が流れ落ちるの防ぐ。

「クソッ、本当に撃ちやがった!」。
レーダーロックされRWR レーダー ワーニング レシーバーがピーピー鳴ってたが、本当に撃って来るとは思わなかった。
前方から向かって来るのはAIM-120アムラーム。アメリカ製の中距離空対空ミサイル。
だが、こいつは研究し尽くしてる。ビーム機動でかわせる。
タイミングが合えば、だが。
「よし、落ち着け落ち着け。訓練と同じだ」。
90°の左急旋回から機体を一旦水平に戻す。
旋回で失ったエネルギーを取り戻し、さらなるエネルギーを獲得するためパワーレバーをアフターバーナーポジションへ。機体が加速を始める。
「ジェッション タンク」。
「カバーポジション」。
僚機へ指示を出しながら増槽を切り離す。
「帰りは空中給油か」。
「帰りがあれば、だが」。
後ろを振り返り僚機の位置取りを確認する。

俺は今、F-15J改のコクピットにいる。
場所は対馬近海の上空30000フィート。
しばらく前からK国との関係が最悪な状態だ。
原因はいつものお決まり。
だが今回はK国内の政府への突き上げが激しく、K国政府は世論の目をそらすため軍を動かした。よりによって対馬に。悪いのは日本だと。
K国海兵隊が乗り込んだ強襲揚陸艦「独島」とイージス艦「世宗大王」の艦隊。
海自もイージス艦の「あたご」を旗艦とする護衛艦隊を対馬に向かわせ、上空には空自の戦闘機。
AAM4とAAM5の対空装備のF-15J改でMIG CAP。いや、相手はMIGではないか。それと、新型の超音速対艦ミサイルASM3を装備したF-2A。
対艦装備のF-2AはあくまでK国への警告。いつでも撃沈出来るぞ、と。
だが、K国イージス艦の撃沈はアメリカが許可しないだろうし、ましてやK国海兵隊員が乗った強襲揚陸艦への攻撃は千人単位の戦死者が出る。こちらは日本政府が許可しないだろう。
そして今、俺が乗るF-15J改へ向け、K国はKF-16戦闘機をぶつけてきた。
俺は今回の騒動は、K国の国内向けパフォーマンス程度にしか考えていなかった。
ミサイルを撃たれるまでは。

「20マイル!」。
AWACSからミサイルとの距離が入る。
ライトターン。右に90°切返す。
ここでチャフをリリース。
チャフはレーダーに偽のエコーを作り出し、運が良ければミサイルをごまかせる。
速度という運動エネルギーを回復したのでパワーレバーをミリタリーへ戻す。速度は大事だ。スピード イズ ライフ。
しかし、燃料はもっと大事だ。燃料をバカ喰いするアフターバーナーは長時間使いたくない。アフターバーナー使用中はフューエル フロー メーターが狂ったように回ってる。
レフトターン。左に90°切返す。
もう一度チャフをリリース。
左右への90°ターンを繰り返し、正面からのミサイルに対し常に横切るように飛行するビーム機動。レーダーを欺瞞する動き。
そして、チャフで偽のターゲットをミサイルに与える。
だが、タイミングがすべて。

見えた!。ミサイルはこちらへ1発だけ。
「よしっ、かわせる」。
ライトターン。
今度は9G!。
リリース チャフ!。
「ドーンッ!」
ミサイルは後方のチャフへ突っ込んで誤爆した。

「ROE はクリア?。反撃許可を」。
「ネガティヴ!」。
AWACSからの返答に唖然とした。
クソッ!。ミサイル撃たれてネガティヴはないだろう。
「今、空幕へ確認中。反撃はネガティヴ」。
だが、とりあえずAWACSは奴らへのインターセプトコースを指示してきた。

「アームドは?」。
AWACSへマスターアームONの許可を取る。
「ネガティヴ!」。
チッ、何考えてんだか。
AWACSからこちらの機体状況は見えない。マスターアームをONにしても分かりはしない。が、自衛官としてパイロットとしての良識がそうはさせなかった。
「もうちょっと高度が欲しい」。
ビーム機動で失った高度をAWACSにリクエストする。
「ベクター010、アルト28、ミリタリー」。
AWACSはインターセプトコースと高度、ミリタリーパワーでの追跡を指示してくる。
敵機は、そう相手はもう敵機と呼べるだろう、ミサイルを発射するとコースを反転していた。
こちらのレーダーモードはRWSモード、索敵モードだ。相手の速度と向かう方位は分からない。ただそこにいる、という表示だけ。
アームドを許可されないのでレーダーロックはしない。
レーダー画面の反応は心なしか離れていく。
「このままだと振り切られるな」。
そう思いながら、振り返って僚機を確認したその時。
「ピッ、ピッ、ピーッ!」。
RWRのレーダー警報が連続した不吉なトーンに変わる。ロックオンされた。
ヤバい!、イージスシステムだ!。
「ピーッ!」。
新たな警報!。
そしてAWACSからの指示。
「ミサイルワーニング、SM-2。ダイブ!、ダイブ!」。
クソッ!K国イージス艦からのSM-2 スタンダードミサイルだ。AWACSはどこを見てたんだ!、イージス艦の位置は分かってただろうに。極めつけの最悪!。
左へロールを打って反転降下。海面へ向けダイブする。
頭上から赤い火の玉が迫って来る。
さっきからチャフは撃ちまくってるが、イージスシステムとスタンダードミサイルには無力。ミサイルの速度が速くてビーム機動が通用しない。
スタンダードミサイルから逃れるには海面ギリギリに降りてシークラッターに紛れるしか方法は無い。
でも海面までは10000フィート。間に合いそうにない。
「だめか・・・」。

「ドンッ!」。「ガーン!」。
パイロットになって初めて経験する、閃光、音、衝撃。それに続くワーニングランプ、コーションランプの点灯。
「ワーニング。エンジン ファイヤー レフト。ワーニング。FCSフェイラー。ワーニング・・・」。
警報だらけだな。
コントロールは?。
クソッ、アンコントロール!。
「メーデー、メーデー、メーデー」。
「アンコントロール!。アンコントロール!」。
ベイルアウトだ!。
「イジェクト、イジェクト、イジェクト!」。
俺はベイルアウトをコールして射出シートで脱出した。
いや、果たして脱出出来たのだろうか?。

突然、周りの景色が消えた。
「ノック イット オフ、ノック イット オフ。訓練終了。パイロットはシャットダウン手順完了後、シミュレーターから降りてください」。
シミュレータコントロール室からの指示が来る。
「ノック イット オフ了解」。
シミュレータのコクピットで各スイッチをオフへ。
「シャットダウン チェックリスト コンプリート」。
シートのハーネスを外しヘルメットを脱ぐ。
「はぁ〜。死んだ、のか?」。

シミュレータのシートに座ったまま思わずつぶやいた。
「俺は今、専守防衛の生贄にされたのかな」。
自衛隊の基本戦略、専守防衛。
相手からの攻撃を受けてから、初めて軍事力を行使する。
相手機からの空対空ミサイル発射だけでは、故意か事故かは判断しかねる。
明確な攻撃の証拠が必要となる。撃墜という証拠が。
「AWACSがイージス艦の存在を忘れるはずがないもんな」。
「俺は交戦規定クリアのための生贄だったのかもな」。
「レーダーロックは無し、ましてやマスターアームはOFF。敵対行為、挑発行為は全く無し・・・」。
「専守防衛か〜。ま、宣誓した身だし。これも幹部自衛官としての責任だよな」。
胸のウイングマーク入りのネームパッチをパチンと叩いて、俺は訓練デブリーフィングへ向かった。

おわり

アラート任務という「実戦」のため、土日盆正月無しで待機されている空自隊員に敬意を表します。