拘(こだわ)りを捨てろ

「こだわりの逸品」「こだわりの味」「こだわりの~」・・・

世にこだわりは数あれど・・・

いつからだっけか?
何でもかんでもこだわり始めたのは?
マスコミが。というか広告業界が重宝に「こだわり」を利用し始めたのは。

こだわるってのが、なんか高級品や凝ったモノや食い物のお飾りになっちゃったんだよな。

拘(こだわ)るって辞書でひいてみな。

元々良い意味なんか無いんだから。

それは物事や考えにとらわれて動けなくなる事って意味なんだから。

こだわればこだわるほど、自由な発想や発展や進歩を阻害する。
なのにみんな最近はこだわりまくりだよね(笑)

なんかについて、人に「こだわってますね~」って言われると、ちょっと脳の奥がピリッとする。
(別にこだわっちゃいね~よ、たまたまあれこれしているうちにこうなっちまったんだよ)と思いつつ、口にゃ出さずにニヤけてみせたりね。

あーいやだいやだ、そんな自分が嫌になるぜ・・・

本人褒めてるつもりなんだろうが、褒めてる事になってねえんだよ。

じゃあどうすんだよ? って話になるんだが、とっととこだわりってのを捨てちまえ。こだわってんじゃねーよと。

そのかわりと言っちゃなんだが、最高の言葉があるぜ。

「究める」もしくは「極める」だ。

研究、追究、真理を究める。

これならどこまでも果てしなく向上出来るじゃないか。

最後はもう宇宙の真理だよ。

ちょっと話が行き過ぎちゃったな。

例えばさ、自転車を例に出すよ。乗ってるから。

ロードレーサーって自転車は、公道上を人力で最も速く移動出来るマシンだ。

そいつはこだわりじゃなく、レギュレーションの範囲で、勝つ為にあらゆる要素を最適化して、現状のアイディアや技術を究めたマシンだ。で、そいつでレースをすると。

だけど、普通に趣味で乗っていて、レースには出ない人の方がはるかに多いのね。床の間にでも飾って眺めてるだけならそれでもいいけど、まあ休日のツーリングとかで乗るわな。

レース用のピチピチのウエア着て、なんも積めない自転車だからポケットに最小限の物持って出かけるのよ。
ロードレーサーに乗るっていうのはレーサーへの憧憬だから、そのスタイルに「こだわり」があるのね。

だけどさあ、ツールドフランスとかのレースは、サポートカーが伴走してて、必要な補給食やら水やらなんやらみんな運んでくれるからな。自転車ぶっ壊れればスペアの自転車屋根から降ろして、そら行け!ってなもんでね。

ツーリングなら全部自前で運ばなきゃならん。

スペアのチューブにパンク修理のセットに工具、高圧で入れられる特殊でコンパクトなポンプ、その他考えられるものはなるべく持っていく。どう考えてもレーシングウエアの小さなポケットで足りるわきゃねえんだ。となるとたいした距離は走れないし、人のいないところはヤバいわね。

俺はサドルにデカいバッグ付けてる。

つまらねえ拘りよりも、子供にお土産買えた方がいいもん。

 

腰が治って

おお、あららぎの庭ができたね♪

では書いてみよう。

     今日は日曜日、二ヶ月ぶりの試合に赴く私であった。昨日は部屋を歩き回りながら時々立ち止まってドライファイヤをしてみた。腰に痛みは残っていたが耐えられないほどではなかった。きっと今日はもっと楽に動けるだろう。

     昨夕、空を見上げると大きな雨雲の上には青空が広がりはじめており、遠い夕日が宝石のようにちりばめられていた。それはあたかも神が私のために痛みのカーテンを引き払ってくれているようにさえ見えた・・・。

なはははは(^○^)書けるじゃん!!

ショクン、
自由に書いてくださいね(^O^)/

   市

 

 

ショートストーリー。 ー専守防衛ー

ー 専守防衛 ー

「ブレイク!、ブレイク!」。
ヘルメットのイヤーパッドにAWACS 早期警戒管制機からの指示が入る。
反射的に操縦桿を左に倒し手前に力一杯引き、パワーレバーをミリタリーまで押し込む。
機体は左へ激しくバンクし、ガッと身体へGが襲う。
Gメーターの針は7を超えた。Gスーツが下半身を締め付ける。腹筋に力を入れ強く短い呼吸で、脳から血液が流れ落ちるの防ぐ。

「クソッ、本当に撃ちやがった!」。
レーダーロックされRWR レーダー ワーニング レシーバーがピーピー鳴ってたが、本当に撃って来るとは思わなかった。
前方から向かって来るのはAIM-120アムラーム。アメリカ製の中距離空対空ミサイル。
だが、こいつは研究し尽くしてる。ビーム機動でかわせる。
タイミングが合えば、だが。
「よし、落ち着け落ち着け。訓練と同じだ」。
90°の左急旋回から機体を一旦水平に戻す。
旋回で失ったエネルギーを取り戻し、さらなるエネルギーを獲得するためパワーレバーをアフターバーナーポジションへ。機体が加速を始める。
「ジェッション タンク」。
「カバーポジション」。
僚機へ指示を出しながら増槽を切り離す。
「帰りは空中給油か」。
「帰りがあれば、だが」。
後ろを振り返り僚機の位置取りを確認する。

俺は今、F-15J改のコクピットにいる。
場所は対馬近海の上空30000フィート。
しばらく前からK国との関係が最悪な状態だ。
原因はいつものお決まり。
だが今回はK国内の政府への突き上げが激しく、K国政府は世論の目をそらすため軍を動かした。よりによって対馬に。悪いのは日本だと。
K国海兵隊が乗り込んだ強襲揚陸艦「独島」とイージス艦「世宗大王」の艦隊。
海自もイージス艦の「あたご」を旗艦とする護衛艦隊を対馬に向かわせ、上空には空自の戦闘機。
AAM4とAAM5の対空装備のF-15J改でMIG CAP。いや、相手はMIGではないか。それと、新型の超音速対艦ミサイルASM3を装備したF-2A。
対艦装備のF-2AはあくまでK国への警告。いつでも撃沈出来るぞ、と。
だが、K国イージス艦の撃沈はアメリカが許可しないだろうし、ましてやK国海兵隊員が乗った強襲揚陸艦への攻撃は千人単位の戦死者が出る。こちらは日本政府が許可しないだろう。
そして今、俺が乗るF-15J改へ向け、K国はKF-16戦闘機をぶつけてきた。
俺は今回の騒動は、K国の国内向けパフォーマンス程度にしか考えていなかった。
ミサイルを撃たれるまでは。

「20マイル!」。
AWACSからミサイルとの距離が入る。
ライトターン。右に90°切返す。
ここでチャフをリリース。
チャフはレーダーに偽のエコーを作り出し、運が良ければミサイルをごまかせる。
速度という運動エネルギーを回復したのでパワーレバーをミリタリーへ戻す。速度は大事だ。スピード イズ ライフ。
しかし、燃料はもっと大事だ。燃料をバカ喰いするアフターバーナーは長時間使いたくない。アフターバーナー使用中はフューエル フロー メーターが狂ったように回ってる。
レフトターン。左に90°切返す。
もう一度チャフをリリース。
左右への90°ターンを繰り返し、正面からのミサイルに対し常に横切るように飛行するビーム機動。レーダーを欺瞞する動き。
そして、チャフで偽のターゲットをミサイルに与える。
だが、タイミングがすべて。

見えた!。ミサイルはこちらへ1発だけ。
「よしっ、かわせる」。
ライトターン。
今度は9G!。
リリース チャフ!。
「ドーンッ!」
ミサイルは後方のチャフへ突っ込んで誤爆した。

「ROE はクリア?。反撃許可を」。
「ネガティヴ!」。
AWACSからの返答に唖然とした。
クソッ!。ミサイル撃たれてネガティヴはないだろう。
「今、空幕へ確認中。反撃はネガティヴ」。
だが、とりあえずAWACSは奴らへのインターセプトコースを指示してきた。

「アームドは?」。
AWACSへマスターアームONの許可を取る。
「ネガティヴ!」。
チッ、何考えてんだか。
AWACSからこちらの機体状況は見えない。マスターアームをONにしても分かりはしない。が、自衛官としてパイロットとしての良識がそうはさせなかった。
「もうちょっと高度が欲しい」。
ビーム機動で失った高度をAWACSにリクエストする。
「ベクター010、アルト28、ミリタリー」。
AWACSはインターセプトコースと高度、ミリタリーパワーでの追跡を指示してくる。
敵機は、そう相手はもう敵機と呼べるだろう、ミサイルを発射するとコースを反転していた。
こちらのレーダーモードはRWSモード、索敵モードだ。相手の速度と向かう方位は分からない。ただそこにいる、という表示だけ。
アームドを許可されないのでレーダーロックはしない。
レーダー画面の反応は心なしか離れていく。
「このままだと振り切られるな」。
そう思いながら、振り返って僚機を確認したその時。
「ピッ、ピッ、ピーッ!」。
RWRのレーダー警報が連続した不吉なトーンに変わる。ロックオンされた。
ヤバい!、イージスシステムだ!。
「ピーッ!」。
新たな警報!。
そしてAWACSからの指示。
「ミサイルワーニング、SM-2。ダイブ!、ダイブ!」。
クソッ!K国イージス艦からのSM-2 スタンダードミサイルだ。AWACSはどこを見てたんだ!、イージス艦の位置は分かってただろうに。極めつけの最悪!。
左へロールを打って反転降下。海面へ向けダイブする。
頭上から赤い火の玉が迫って来る。
さっきからチャフは撃ちまくってるが、イージスシステムとスタンダードミサイルには無力。ミサイルの速度が速くてビーム機動が通用しない。
スタンダードミサイルから逃れるには海面ギリギリに降りてシークラッターに紛れるしか方法は無い。
でも海面までは10000フィート。間に合いそうにない。
「だめか・・・」。

「ドンッ!」。「ガーン!」。
パイロットになって初めて経験する、閃光、音、衝撃。それに続くワーニングランプ、コーションランプの点灯。
「ワーニング。エンジン ファイヤー レフト。ワーニング。FCSフェイラー。ワーニング・・・」。
警報だらけだな。
コントロールは?。
クソッ、アンコントロール!。
「メーデー、メーデー、メーデー」。
「アンコントロール!。アンコントロール!」。
ベイルアウトだ!。
「イジェクト、イジェクト、イジェクト!」。
俺はベイルアウトをコールして射出シートで脱出した。
いや、果たして脱出出来たのだろうか?。

突然、周りの景色が消えた。
「ノック イット オフ、ノック イット オフ。訓練終了。パイロットはシャットダウン手順完了後、シミュレーターから降りてください」。
シミュレータコントロール室からの指示が来る。
「ノック イット オフ了解」。
シミュレータのコクピットで各スイッチをオフへ。
「シャットダウン チェックリスト コンプリート」。
シートのハーネスを外しヘルメットを脱ぐ。
「はぁ〜。死んだ、のか?」。

シミュレータのシートに座ったまま思わずつぶやいた。
「俺は今、専守防衛の生贄にされたのかな」。
自衛隊の基本戦略、専守防衛。
相手からの攻撃を受けてから、初めて軍事力を行使する。
相手機からの空対空ミサイル発射だけでは、故意か事故かは判断しかねる。
明確な攻撃の証拠が必要となる。撃墜という証拠が。
「AWACSがイージス艦の存在を忘れるはずがないもんな」。
「俺は交戦規定クリアのための生贄だったのかもな」。
「レーダーロックは無し、ましてやマスターアームはOFF。敵対行為、挑発行為は全く無し・・・」。
「専守防衛か〜。ま、宣誓した身だし。これも幹部自衛官としての責任だよな」。
胸のウイングマーク入りのネームパッチをパチンと叩いて、俺は訓練デブリーフィングへ向かった。

おわり

アラート任務という「実戦」のため、土日盆正月無しで待機されている空自隊員に敬意を表します。

想い出に涙する

elanです。

 この後の文章は、何年か前に書き、その後加筆修正したものです。

私が市郎さんのブログにあまり書き込むことができなかったのは、屈託無く趣味に没頭したりできなかったので、みなさんの輪に入るのにどこか後ろめたい気持ちがあったことが一つ。

もう一つには、やはり気後れしていたということがありました。

市ファンとして、当時本当にポロポロと涙をこぼしながら書き、今でも読み返すとどういうわけか目が潤むのです。

そんな自分でしたが、今ではみなさんに混じってコメント書いたり、市郎さんともお付き合いしていただくことができるようになりました。

ここに載せるには、ちょっとよそよそしい文章ですが、市郎さんの、「そのまま載せたまえよ」とのお言葉に、そのまま掲載させていただきます。

 


 

 想い出に涙する

 

 ある日、あるブログに初めてコメントした。
 そのブログは何年も前から公開されていてずっと読んでいた。いや、それ以前に、彼が写真を撮りレポートを書いていた雑誌を、小学生の終わり頃か、中学生のはじめの頃からずっと読んでいた。彼は子供の頃から最も敬愛するヒーローの一人だ。
 そのブログを書いてらっしゃるイチローさんは、先日七十歳の誕生日を迎えられたばかり。彼は、その方面では一流のフォトグラファーで、彼の写真を見て育ったファンが世界中に大勢居る。

 書いているブログの中で、これまでの膨大なノウハウも、教訓も、自らの失敗も、写真も、過去に商業誌に掲載された記事すらも、無償で公開している。
 ギャラも高額で引く手数多の忙しさの中(現在はセミリタイア中)、様々な試行錯誤を続けていて、後続に何の見返りも無く伝えられる事を伝えようとしている。
 猛烈に忙しい筈なのに、かなりの数のコメント全てに目を通し、心のこもった返事を書き続けている。うっかりすると、コメントを膨らませて、長文の返信をするくらい、それはそれは心のこもった対応だ。

 彼は若い頃単身渡米し、コネも金も無く大変な苦労をして今に至っている。当時のロスだから、まだまだ人種に対する偏見も強かっただろうし、その中から這い上がって行くのは、並大抵の事では無かったはずだ。しかし、強いマインドセットと洞察力、行動力が、自分とその周りの世界も変えてしまう事を証明した人だ。決して一握りの天才なんかじゃない。常に人を上回る努力をして常に学習し、諦めずに考えて改善して生きて来た人だ。
 何のコネも無かった日本人が、FBI SWATのスナイパーの教官と友達になって、プロに混じってトレーニングを受けられる筈も無いのだが、彼は若い頃、すでにそこに潜り込んで、FBIのスナイパートレーニングを受けていた。本来取材どころか、見るのも御法度のUS NAVY SEALチームの取材もするし、メーカーから開発中の銃器(もちろん本物)のプロトタイプを送られて意見を求められたりもする。

 若い頃から、競技にも出ないで、銃の良し悪しを語るなど滑稽だと言い、ずっと射撃競技の現役で、今でもシニアクラスではトップを走る。(実はUS Bianch Cupで全米8位になったこともある。)

 その彼に初めて会ったのは、三十年近く前、あるイベント会場でだった。
 その時、参加者はちょっとしたテクニックの講習を受け、その後でサインをもらった。「すいません、サインをお願いします。」それしか言えなかった。
 時は流れて、その方面の趣味への興味が薄れていた時期も長かったのだが、彼の書いた記事には時折触れていて、忘れる事はなかった。彼の書くレポートは、基本的に銃の解説などが主な内容だが、その底流には常に人間の生き方が垣間見えていた。

 彼も高齢になり、もしかしたらもう二度と会えないかも知れないと思うようになった。だが、まさかアメリカまで押し掛けて行くわけにもいかないし、時々来日するけれども、仕事で来るわけだから、邪魔になってはいけないし、そんなところへノコノコと、あちらには何のメリットも無いのに貴重な時間を使わせるわけにはいかないではないか。
 多分その考えを話したら怒られるとは思うけど。
 まぁ、そこまでシリアスに考えたわけではないのだけど、なんとなく寂しさを感じていたわけだ。
 ところがある日、来日する仕事の合間に、「日本では刃物による事件が多発しているようだから、対ナイフ護身術訓練でもやろうかね~、来たい人は来なさいね~」という呼びかけがあった。 
 マジか?!
 えぇ、すっ飛んで行きましたとも。
 チャンスは行動する人間にだけ与えられるんだ。
 募集はブログで告知された。参加費は千円だけど、単に会場代としてそのくらいかかるからと。スタッフもみんなボランティア。
 実は参加者には、土産の類いは持ってくるなと釘を刺されていた。にも関わらず、過去のブログの記事から、彼が良い日本酒を少しだけ嗜む事を知っていたので、旅先での負担も考えて、八海山の一升瓶ではなく四号瓶の純米を持って行った。よく思われたいわけでも覚えてもらいたいわけでもおべっかを使いたいわけでもなく、ただ子供の頃からたくさんの事を学ばせてもらった事に、ほんの少し、感謝の気持ちを伝えたかったからだ。
 当日会場に早めに入ると、しばらくして彼が現れた。大男ではなく細身で、やや声が高くて、知らない人にはむしろ華奢に見える風貌だ。
 その時、御年六十八歳。その人が、凄まじい戦闘力を持っているとは誰が想像出来ようか?
 だがしかし、そこに集まったみんなはその事を知っている。
 訓練が始まる前に声をかけ、昔彼が書いた小説にサインをお願いした。かつて東京タワーのイベント会場でお会いした事、サインをねだった事を手短に話して、酒の瓶を渡した時に、急に険しい顔になって怒られた。
「かといってぶん殴るわけにもいかないしなあ・・・ありがとう。」そう言って受け取ってくれた。

 訓練は大変貴重な、日本にいたら受けられそうも無い内容で、非常に実践的だった。現役の自衛官や警察官も大勢混じっていた。二人組になって、模擬ナイフでナイフファイトもやった。あの時のメンバーは、刃物を持った暴漢に易々とやられる事はないだろう。

 その後、再び今度は薩摩で訓練が開催される時、ブログにはこう書いてあった。

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江戸訓練ではお土産を持ってこないでと
お願いしていたにもカカラワズ
大勢の方々から差し入れをいただき、
まさかルール違反だなんてジェッタイに
言えず、とても感謝、、というかその
暖かい気持ちに感動しています。
んで、
薩摩訓練においても、
何かイチローに渡してやりたいという
気持ちをもっている方々がおられると想う
のですが、これはやめて頂きたいと・・・

理由は2つです、
人がワシに逢いに来てくれるだけで
嬉しいのに、その上にオカネを使わせる
なんてとても心苦しいのです。
なんだか借りができたような気持ちに
なってお礼をしないとイカンという
プレッシャーになります。
もともとワシは、もらうということに
抵抗を感じる性格なんですね~

もうひとつの理由は、
旅先で荷物が増えると運ぶのに
大変なんです。必要最小限度の
荷物で移動しているのにもらい物が
あると抱えきれなくなって困ってしまう
のです。
ですから、薩摩訓練ではいっさいの
お土産は禁止ですよっ!
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 これは、参加者に変な気を遣わせたくないという思い遣りの現れだと思った。
 でも、わかっていてルールを破った自分を少し後ろめたく思った。
 そんな後ろめたさを感じながらも、彼が帰国して、その後も更新され続けるブログとそこに付くコメントを読んでいたけれど、どうしてもコメント出来なかった。関心のある記事もたくさんあったのに。
 ところがある日彼のブログを訪れると、訓練の時にサインをいただいた本の事について書かれていた。発行部数も少ないし、再版はされないだろう事から、読みたい希望者が多ければ、ここに載せるぞと。

初めてコメントした。

『初めてコメントいたします。
以前、対ナイフトレーニングの際に、厚かましくも本を持参してサインしていただきました。
大切な蔵書です。
ありがとうございました。』

そして彼が返事をくれた。
『○○さん、覚えていますよ。あのときはなぜか驚きましたよ。すこし書き直しますからここでもゆっくりと少しずつ読み返してくださいな。

覚えていてくれたんだ。
反射的にまたコメントを書いた。

『あ、すいません。
不覚にも何故か涙が出てしまって。
あの時も、余計な物を持って行って怒られました。
けれども、お会いしたら、ささやかでも何でもいいからお礼をしたかったんです。
小学生の頃から、イチローさんがレポートを書き始めた頃からずっと読んでました。
突き詰めれば、銃の話だけで収まる訳もなく、時に人生を教えてもらいました。
人間は強くしなやかに生きるべきで、本質はどんなに愚かでも、考え続け、死ぬまで生きるのだと。
手紙も書けず、初めて東京タワーでお会いして以来、なにも出来ませんでした。
こんな言い方は失礼な事は承知の上で申しますが、元気なイチローさんにお会い出来た事がどれほど嬉しかったか。
本当は、その後の食事にもおつきあいしたかったのですが、気後れしてその場を去りました。

あぁだめだ、書いていて涙が止まりません。

もしまたお会い出来たなら、その時は変に構えずに、少年だった心のままお話しさせていただきます。』

そしてそのコメントにこう返事をくれた。

『>>あぁだめだ、書いていて涙が止まりません。。○○さん、こういう想い出に涙するのは大人となりながらも少年の心をきちんともっている証だと想うのですよ。君のようなファンがいてくるなんてワシは心から幸せだと感じますし、ああ、このブログをやっていて良かったなぁ~と・・つくづく想います・・グススン♪』

 なぜだか気後れして、言葉を発する事すら難しかったのに、ようやくわだかまっていた自分の中のモヤモヤにケリがついたような気がした。

 それからもう六年が過ぎた。

 今年破産することを決めてから、彼が競技用のホルスターを改良していることを知り、しかしそれはとても昔に絶版になった希少品で、改造するにしてもモノが無い。できればそれを現代のオンデマンドファブリケーションで、改良版を作る手伝いができないかと考えて、連絡を取った。

 とても勇気の要ることだったけど、イチローさんは返事をくれて、一緒にデザインすることになった。いつ形になるかわからないけれども、せめてイチローさんの使う分だけでも形にしたいと思う。

 子供の頃は憧れのヒーローだった人と、こうして繋がることができた。

 Be STRONG!

 さあ、まだまだこれからだ。